夏目漱石『こころ』読書会のもよう(2018 7 13)

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2018.7.13に行った夏目漱石『こころ』読書会のもようです。

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私も書きました。

『悲しい夢』

(引用はじめ)

女には大きな人道的な立場からくる愛情よりも、多少義理をはずれても自分にだけ集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われますから。

妻はある時、男の心と女の心はどうしてもぴたりと一つになれないものだろうかと云いました。私はただ若い時ならなれるだろうと曖昧な返事をして置きました。妻は自分の過去を振り返って眺めているようでしたが、やがて微かな溜息を洩らしました。(下 54)

(引用終わり)

お嬢さんは、先生が自分を守ってくれる覚悟があるか、ずっと試していたと思う。そして、「私の嫌いな例の笑い方」をするようになる。先生は、その笑いを、お嬢さんの技巧とみなすか、それとも先生のKに対する嫉妬ゆえに嫌に感じるものなのか、迷った。

Kは「覚悟」があった。お嬢さんが許せば、一緒に駆け落ちしたかもしれない。先生には、そこまでの「覚悟」に欠けている。だが、Kを出し抜いた。

意識的であろうが、無意識的であろうが、腹の探り合いで生きている。腹の探り合いに膨大なエネルギーを割けば、お互いの心がぴたりと一つになったような錯覚がやってくる瞬間もあるだろう。

人が人とぴたりと心を合わせるのには、膨大な情熱がいる。あらゆる感情が混ざり合って、熱くなったふたつの心が、惹かれ合うのであり、若さと無知無経験は、恋という錯覚の培養地だ。

プリーモ・レーヴィの『これが人間か』に抹殺収容所で囚人みんなが観る夢の話がある。故郷に帰り、家族に囲まれる夢だ。収容所でのおぞましい体験を、一生懸命に家族に語るのだが、誰も自分の話を聴いてくれなくて、全く無関心である。自分以外の家族が、お互い楽しく語らい、やがて立ち去っていくという夢。こんな残酷な夢を見るのだという。

Kも同じような夢をみたのかもしれない。取り残された絶望的な悲しさを思えば、もうあの下宿の部屋で悲しみの中、目覚めたくはなかったのかもしれない。

全世界から拒否されているという、悲しみ。物心つかない子どもでも感じる純粋な悲しみだ。

(おわり)

読書会の模様です。

 

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  • 2018 09.02
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