芥川龍之介の『河童』読書会のもよう

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『芝居の背景の前にも』

 

芥川龍之介の最晩年の作品『河童』のあらすじは、以下である。

 

ある青年は、河童の国に住んでいたことがあった。その国は人間の社会と別の合理性があった。例えば、河童の胎児は、母胎にいるうちから「この世に生まれたいか?」を意思確認させられる。生まれたくなければ、胎児である河童は中絶させられるのである。河童にも、職業がある。漁師、医者、弁護士、詩人、音楽家、資本家、宗教家などなど。だいたいは人間社会と同じ仕組みで、暮らしているのだが、河童には『人権』(河童権?)規定がない。だから、従業員の河童はリストラされると、食肉にされてしまう。近代教(生活教)という宗教があり、その教えは「旺盛に生きよ」である。飯をくったり、酒を呑んだり、セックスしたりと、旺盛に生きることが河童の生きる道に叶うとされる。多くの河童が唯物論者である。つまり、目に見えるものだけを信じて暮らしている。それは、「芝居の背景の前」に生きているようなものである。河童にも差別や戦争がある。蛙を差別して、獺(かわうそ)と戦争するのである。詩人のトックは、自由恋愛家であり、河童の社会の規範に逆らう芸術家であった。彼は、鬱病を患い自殺してしまう。しかし、死後の自分の名声を確認すべく、死後の世界から戻ってきて、幽霊として姿を現す俗物である。青年は、河童の国にいることが憂鬱になり人間界に帰ってくるが、事業に失敗し、ふたたび河童の国に「帰りたい」とおもった。しかし、精神病院に措置入院させられた。今度は、心配した河童たちが、夜な夜な、彼の病床に見舞いに訪れる。

 

だいたい以上のような、内容である。

 

河童のエゴを描きながら、人間のエゴを批判しているのである。

 

日本人は、形だけ近代化して、合理的な社会秩序の中で生きているが、金や肩書だけを追い求める唯物論が流行り、快楽主義という名の生活教が流行り、永遠も魂の尊厳も見失い、みな鬱病気味である。そして、自分が河童であることに気がついていない。

 

 

(おわり)

2016.8.26に行ったツイキャスでの読書会のもようです。

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