社会人にこそ読書会がふさわしけれ

読書会なんか、暇な大学生がやるもんだと思う方がいるでしょうが、

私は、大学生は、大学生という立場ゆえに、

実は、きちんと本が読めない気がします。

 

これどう言うことかというと、私も文学部にいて

一日中、下宿や図書館で読書していた人間なのでわかるのですが、

世間知らずな大学生同士で、読書しても、お勉強の域を出ません。

 

せいぜい、世間知らずな文芸評論家の理論を

丸パクリして、わかったような気になるのが落ちです。

 

また、たとえ、大学教授や大学院生と

一緒に読書会したところで、彼らも、

近代小説に書かれている、人間生活の世知辛さはわかりません。

 

そういう人たちに、実感とはかけ離れた、偏(かたよ)った読み方を教わると

読んだ本の内容が、知識として頭にインプットされるだけで、

全然楽しくならないし、学びにもなりません。

 

私も、学生時代たくさん読んだと勝手に自負していましたが

疲れ果てたサラリーマンになった30代半ばに、近代小説を読み直したら、

全然読めていなかったことに気がついて、膝から崩れ落ちそうになりました。

 

小説は、むしろ社会人になって読んだほうが、リアリティーが腹にズシンと響きます。

 

哲学も思想も、同じです。

 

(大学は、語学学校だと割りきって、学生時代は語学力をつけましょう。

語学は、若いうちにやれば、基礎が身につきます。一生の財産です。)

 

小説を楽しむのは、社会に出て

組織の分業担当者としての卑小な己に

絶望してからでも十分に間に合います 笑

 

 

むしろ、いかに自分の思い通りにならないかを、痛感して、

ひと通り、人生のあらゆる出来事に立派に挫折してから

小説を読まないと、文章の細かい描写にあふれる人情の機微はわかりません。

 

小説家のろくでもない生き方に憧れているうちは、

憧れでしか、読めませんが、

小説家のろくでもない生き方に、

「立派ではないが、それでも偽善がないだけましか」

と、複雑な同情をおぼえるほうが誠実な読み方です。

 

 

大学生の頃読んだ経験なんて、時間の無駄でしかありません。

 

 

人間は、自分の身の丈以上のものは、読めません。

 

 

大学生の想像上の絶望やら、シニシズムなど、

小説を読む上では有害でしかありません。

 

文芸評論や新書レベルの哲学入門を援用して小説を読んでも

時代錯誤な教養主義で歪んだ嫌味な人間になるだけです。

 

名作を読んだという事実をもって、

教養として自慢する必要すらない現在だからこそ、

虚心坦懐(きょしんたんかい)に、読書会に臨み、だれでも知ってる有名作品を

読んでみることが、本当の意味で血となり肉となる読書体験になります。

 

せっかく読んだら、読書会に参加しましょう。

 

近所で、読書会がなければ、私に連絡ください。

 

あるいは、自分で主宰してみてください。

 

感想をブログに書きましょう。

 

読書会に参加するなり、感想文をブログに綴るなりを

1年続ければ、きっとあなたの人間的な魅力は、

みるみる増しているでしょう。

 

友だちも増えると思います。

 

ファンタジーや娯楽としての読書ではなく、

秩序を支える側としての覚悟を養う意味でも

古典の名作は、様々なことを教えてくれます。

 

哲学(フィロソフィー)は、愛知学と訳したほうがしっくりきます。

 

知識を愛するというのは、ガリ勉のことではありません。

 

学ぶことが、人間を豊かにすることを

知っている人だけができることです。

 

そのためには、ともに学ぶ仲間が必要です。

 

読書会が、そのお役に立てばと思います。

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