2018.7.20に行ったカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』読書会のもようです。
私も書きました。
『往けるものよ、まったきに往けるものよ』
ルースのやっていたジェラルディン先生親衛隊のくだりが悲しかった。彼女は、先生を何かから守っているという物語を友達も巻き込んで、本気で信じるという遊戯。
ルースが親衛隊を組織するのと同じことを私たちだってやっている。それを信じられなくなれば、寄る辺なき世界への不安に耐えられなくなり、狂うだろう。すなわち、トミーが激怒するのは、狂気の一歩手前だ。神から見放され、魂を奪われ、自由を奪われて、それでもなお、この世に存在するというのは地獄だ。その孤独に耐えて、クローンは生きている。彼らは人間のように扱われて生きているが、臓器提供の使命を終えて、死んでしまえば、存在そのものがロストコーナー行きだ。
彼らは、座礁した船のように、物質的現象としては、存在するが、航海すべき海を持っていない。手段としての存在であって目的を持たない。
「わたしを離さないで」
この題名の意味はなんだろう。私の存在の核心を、離さないで。クローン人間という存在の核心はなんだろう? マダムとエミリ先生の結論は、クローン人間に核心はないということだった。逆説的に言えば、ロストコーナーこそ彼らの核心だ。
人間の存在には核心があるのか? 私たちはあると信じている。
だが、クローン人間には、核心があると信じることを許されてはいない。彼らの存在に核心があると信じてしまえば、彼らクローンを、同じ人間として扱わなければならない。
臓器を提供する手段として、人間を見ることはできない。それは、倫理に悖る。人間の社会秩序を支えるフィクションを破壊する。なぜなら、人間の現実存在は、一応は目的だからだ。
しかし、仮に、その目的が、仮象でしかなかったら。
私たち人間は、存在しないも同然だ。同じく、クローン人間も存在しない。そもそも、目的が嘘なのだから、人間もクローンも存在しないし、そもそも、ロストコーナーも存在しない。
そんなことを、この世にいながら悟ることができるのか。
智慧の完成があるとすれば、般若心経にあるように、その真理は、「人間は、いまだ存在していない」ということだ。
目的もなく、実体もない。ただ、この世は、悟りきれない衆生の執着が、嘆き続けるだけの仮象なのかもしれない。
(おわり)
読書会の模様です。