『カナの婚礼』
アリョーシャは、ゾシマ長老の柩の傍らでパイーシイ神父による
ヨハネ福音書の『第二章 カナの婚礼』の朗読を聴いた。
そこには、ガリラヤのカナでの貧しい婚礼が描かれている。
宴会の最中にぶどう酒がなくなった。
すると、イエスは、水甕の水を、ぶどう酒に変える奇蹟をみせる・・・。
宴会長は、花婿を呼んで、言った。
どんな人でも、初めによいぶどう酒を出して、
酔いがまわったころにわるいのを出すものだ。
それだのにあなたはよいぶどう酒をいままでとっておかれました。(中巻P243)
ゾシマの呼ぶ声を聞いたアリョーシャは、いつのまにかカナの婚礼に呼ばれていた。
参加をためらう彼にゾシマは告げる。
こわがることはない。われわれにくらべれば、
あのお方はその偉大さゆえに恐ろしく、
その高さゆえに不気味に思えもするが、しかし限りなく慈悲深いお方なのだ。
愛ゆえにわれわれと同じ姿になられ、われわれとともに楽しんでおられる。
客人たちの喜びを打ち切らせぬよう、水をぶどう酒に変え、
新しい客を待っておられるのだ。
たえず新しい客をよび招かれ、それはもはや永遠なのだ。
ほら、新しいぶどう酒が、運ばれてくる、みえるか、
新しい器で運ばれてくるではないか…… (中巻P244)
婚礼に招かれた客は、かつて人に『一本の葱』を与えた者だ。
『人を愛するものは、人の喜びも愛する』。
ぶどう酒が足りなくなれば、主は、奇蹟をもって
水をぶどう酒に変えて、祝福するものをそっと助けてくれる。
だから、人々は、悪いぶどう酒を出すような嘘をつかなくていい。
婚礼には、つぎつぎと新しい客を招くことができる。
招かれた客は、人を祝福できる者だ。
招かれた客は、人の嘘を赦せる者だ。
『カラマーゾフの兄弟』の登場人物のうち、誰と誰が、招かれた客であろうか?
招かれない客ばかりの婚礼には、祝福はない。
そして、『人を赦せない』という自己欺瞞に囚われた客は、
悪いぶどう酒で酔わされ、悪夢にうなされる。
(終わり)
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