『イワンと自己欺瞞』
イワンは幼児虐待を赦せない。
罪もない子どもが、なぶり殺される世界を認められない。
神が創造した世界になぜ幼児虐待があるのか?
イワンは怒っている。
人間は、罪深い生き物なので、幼児虐待はなくならない。
キリストは、あらゆる人間を赦すが、イワンは幼児虐待をする人間を赦せない。
イワンが『大審問官』の寓話で語っているのは
人間が罪深い愚かな存在なので、赦すよりも支配するほうが
彼らのためであるという考えだ。
人間は、奇蹟と神秘と権威の前にひれふす。
人間は、神に赦されることよりも、奇蹟にひれふすことを求めている。
イワンの描いた大審問官は、再臨したキリストを邪魔者扱いした。
大審問官は言う、
人間は、なんのために生きるかを考えている。
その問題の唯一の答えは、
誰にひれふすかという問題なのであるが
人間は、答えをごまかしている。
それこそが自己欺瞞である。
だから人間の自己欺瞞にあわせて、彼らを支配してやるほうが
幸せなのだ、と。
それが大審問官とイワンの思想の核心である。
しかし、イワンも自己欺瞞を免れない。
彼は、新聞や雑誌で読んだ幼児虐待の記事によって、世界を理解している。
それは、恋愛経験がないのに、ラブロマンスが好きなことと同じだ。
頭のなかだけで、問題を提起して、解決をもとめているだけで、
イワンは具体的なことも、実践的なことも何もしていない。
その自己欺瞞に彼は気づいている。
イワンが悩んだ『大審問官』の結末は、
キリストが大審問官にキスするという場面を入れるかどうかだった。
アリョーシャは、目の前の兄であるイワンを愛しているから彼にキスした。
アリョーシャは、愛を実践できる人間なのだ。
彼は人を赦すことができる。
現に、彼は、神を信じていない兄・イワンをもうすでに赦している。
しかし、人間を愛し、人間を赦すことを拒むイワンは、
大審問官と同じように、自分の理念に踏みとどまる。
人類を軽蔑して、幼児虐待をこの世から根絶するほうを選ぶのだ。
抽象化された人類一般を、彼は、憎しみのまなざしで眺めている。
その意固地が自己欺瞞だと気づかないのは、不幸なことだ。
(終わり)
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