2018.8.24に行ったゴールズワージー『林檎の樹』読書会のもようです。
私も書きました。
『精霊と林檎の樹々』
『林檎の樹』の元ネタになったギリシア悲劇『ヒッポリュトス』の冒頭は、豊穣と生殖を伴うエロスを表す女神アプロディテーと、狩りを司る処女の女神アルテミスの神像が祀られている祭壇のシーンからはじまる。古代ギリシア人は、女性の属性を、女神のキャラクターに振り分けて、その対立に人間を巻き込んで悲劇のドラマにしたてた
アシャーストは、ミーガンやステラの純潔な美しさに惹かれる。ミーガンは粗野な野の花のそのままの美しさであり、ステラは、キリスト教的な理知を備えた洗練された美しさである。ミーガンは春の野辺という舞台で輝き、ステラは、リゾート地の贅沢なくつろぎの空間ではなやぐ。
女性を追いかける男性の心理は分裂しており、性欲の対象としても崇拝の対象としても割り切れないなにかで突き動かされている。『こころ』の先生ではないが、恋は罪悪でもあり神聖もある。
性欲は、生殖のためにあり、崇拝は、純粋な認識のためにある。アプロディテーは、もっぱら性欲の神なので、純粋な認識とは無縁である。たくさんの子孫を残すという動物的本能がその性格の核心なので、嫉妬も深い。
一方アルテミスは、人間が、知識を獲得し、認識を深めるという理性的な営みに関係する。アシャーストが、女性に薄情なのは、彼がアルテミスに惹かれているからかもしれない。
同じくアルテミスに惹かれる「ヒッポリュトス」のように、女性の処女性を追い求め、狩りにはげむように、追いかけ回す彼だったが、ミーガンと愛を誓いあった途端に、彼女との新生活を想像して、気持ちが萎えてくるのである。
ミーガンが恐れていた林檎の木の下のおばけというのは、アプロディテーのことかもしれない。ミーガンは、アプロディテーの嫉妬を買って破滅したのである。ステラは、敬虔なクリスチャンなのでギリシアの神々とは無縁だ。異教徒の血の流れる感受性の過敏なミーガンだからこそ、神話の女神であるアプロディテーの嫉妬の餌食になってしまうということのようだ。
なにかに取り憑かれでもしない限りあんな死にかたしないだろう。
(おわり)
読書会の模様です。