J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読書会のもよう(2018 8 17)

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2018.8.17に行った

J・D・サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』読書会のもようです。

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私も書きました。

『9月1日ごろにつかまえて』

とても、とても多くの人々が今君が経験しているのとちょうど同じように、道義的に精神的に思い悩んできた。ありがたいことに、彼らのうちのあるものはそういう悩みについての記録をしっかり残しているんだ。君はそういう人々から学ぶことができる P321

 

ミスタ・アントリーニの言葉だ。

中学生の頃、学校の周りを走るように部活の顧問に指示され、ふざけて歩道の縁石の上を走ったら、こっぴどく叱られて、罰として、何周も走らされた記憶がある。

そういう理不尽なことが諸々あって、私は部活をやめてしまった。早くこの中学を卒業して、さっさとみんなとおさらばしたいと思った。同級会には一回も出ていない。

その後は、本や音楽に慰められて、自分なりに自己を確立すべく、自分の周囲との折り合いをつけるように悪戦苦闘した。そのプロセスの中で読書会を主宰することにした。読書のおかげで、先人たちにキャッチされた感はある。

『けっきょく、世の中のすべてが気にいらないのよ』P.286とフィービーがいう通りなのだろう。肥大した自意識ゆえに、世の中のすべてを拒絶してたくなる時期がある

自分の話を聴いてくれる人が、ひとりもいないのはさみしい。プリーモ・レーヴィの『これが人間か』の家族友人から無視される悪夢が、現実の光景になっているようなものだ。

自己正当化や世間に対する饒舌な批判が、どんなにみっともなくても、ホールデンのように、いちおう形になっていれば、この社会の中でなんとか居場所が確保できると思う。

書物でもいいから、仲間を作って、表現によって世間と折り合いをつければいい。

新幹線でナタを振り回した若者も、日本版のホールデンの末路だったと思う。岩波文庫だらけだった彼の本棚の中にも、野宿していたライ麦畑ならぬ公園にも、彼をキャッチする人は現れなかった。フィービーのような肉親の同行の申し出もなかった。

 夏休みが終り、新学期のはじまる9月1日ごろに毎年、100人以上の子供が自殺するという。

ライ麦畑の崖っぷちにいる子どもたちだ。いま、どうやって過ごしているのか。

(おわり)

読書会の模様です。

 

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  • 2018 10.16
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