井伏鱒二『黒い雨』読書会のもよう(2018 8 10)

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2018.8.10に行った井伏鱒二『黒い雨』読書会のもようです。

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私も書きました。

『倫理の一線 曖昧な日常』

2017.8.29AM 06:02北朝鮮がミサイル発射実験を行い、Jアラートが鳴った。その2ヶ月後の10月に衆院選があった。国難を訴えた政権与党が大勝した。その後、一転して今年6月の米朝首脳会談があり北朝鮮は非核化に合意し、核弾頭を積んだミサイルを撃ち込まれるという日本の国難は、一旦は遠いものになった。それでも、日本の核武装を唱える識者は後を絶たない。また、核兵器禁止条約への政府の態度も国民の意識も曖昧だ。

曖昧なまま日常が過ぎていく。

作中、虫供養という行事が描かれている。なんでもない些細な日常を熱心に生きるために、昔の人は、煩瑣な儀式を課していた。知らずに殺した土の中の虫すらも供養するのである。

自分が、スマホをいじったまま、核ミサイルに攻撃され、被爆して、数日苦しんだ挙げ句、河原で野辺送りされて、誰も経も読んでくれないまま葬り去られると想像したら、「結局、人間の生命とは、そういうものなのかもしれない。運が悪かった」と諦めの感情しか湧いてこない。

先日読書会で扱った『これが人間か』の著者であるプリーモ・レーヴィは、ナチズムの中にある人間の倫理を一線越えたものを語っていた。

核兵器も人間の倫理の一線を越えたものだ。

一線超えれば、合理的な抹殺収容所システムが出現する。

一線超えれば、何万人もが一瞬にして死に、生き残った人も差別と苦しみの中で時間をかけて死ぬ。

一線越えないために、なんとか日常を支える。もし、日常が倫理の一線を踏み越えたら、そのあとで恥辱が溢れてくる。人間の恥辱は、己の弱さに対して感じるものだ。

恥辱から目をそらせば、卑怯しかない。どれだけ恥ずかしさに目をつぶって生きているか、心によく反省してみれば、私はおよそ正気でいられない。感覚麻痺でやり過ごすのみだ。

毎年読書会で『黒い雨』を読み直すこと。これくらいしか私の勇気の発揮できる場所がないと思うと、情けない。正気でないものを目にしながら、今もなお、声を上げない己の感覚麻痺と、やがて募るであろう、恥辱を予期して、ため息しながら、今年も読み返した。

(おわり)

読書会の模様です。

 

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  • 2018 09.30
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