2018.2.16に行った夏目漱石『坊っちゃん』読書会のもようです。
私も書きました。
「まっすぐでよい御気性」
(引用はじめ)
死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めて下さい。お墓のなかで坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと云った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。
(引用終わり)
清は、坊っちゃんを「あなたはまっすぐでよい御気性だ」と褒めていた。曲がったことが大嫌いという気性である。三四郎も、それからの代助も、こころの先生も、まっすぐな気性だと思う。坊っちゃんは、その気性を、物語の最後まで持ち続けることができた。しかし、それ以外の作品では、「まっすぐでよい御気性」が世間の複雑な事情の中で失われていくさまを描いている。
清は先にお墓で待っているという。宗助が参禅したように、坊っちゃんが、生きながらに門をくぐることはなさそうである。モデルになった養源寺は臨済宗のお寺だそうだ。『門』の設定とかぶるので、漱石は臨済宗に関心が深かったのかもしれない。
坊っちゃんは父母に愛されなかった。『門』では、「父母未生以前本来の面目」いう言葉が出てくる。清の「あなたはまっすぐでよい御気性だ」というのは、「父母未生以前本来の面目」のことを言っているのかもしれない。ショウペンハウエルでいえば、「意志」である。
漱石もまた養子に出されて、父母の愛を知らずに育った。だからこそ、「父母未生以前本来の面目」について切実に思いをはせたのかもしれない。
清との関係を除けば、坊っちゃんは、どうしようもなく寂しい人だ。自己正当化もはなはだしい。自己欺瞞の強い人物だ。友達がいなくても平気なタイプだが、清がいなかったら、かなり精神的に参っていたであろう。
(引用はじめ)
汽車がよっぽど動き出してから、もう大丈夫だいしょうぶだろうと思って、窓から首を出して、振り向いたら、やっぱり立っていた。何だか大変小さく見えた。
(引用終わり)
清が、「まっすぐでよい御気性」に見ていたものは、坊っちゃんの成功とか出世といった現世利益ではないのは確かだ。
(おわり)
読書会の模様です。