トルストイ『人はなんで生きるか』読書会のもよう(2017 9 1)

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2017.9.1に行ったトルストイ『人はなんで生きるか』読書会のもようです。

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私も書きました。

「なくてはならないもの」

2017年8月に、生まれたばかりの赤ちゃんを河川敷に生き埋めにした母親が逮捕される事件があった。

土の中で泣いていた赤ちゃんは、通りすがりに人に発見され保護され、奇跡的に無事だったそうだ。

ミハエルは、長靴を注文しにきたお金持ちの大男が、死の天使に取り憑かれているのを見て、《一年先のことまで用意しているが、この夕方までも生きていられないことは知らないのだ》と思った。そして、神の『人間に与えられていないものは何か?』という質問の答えに思い至った。

人間には、自分の肉体のためになくてはならないものを知ることが、与えられていないのです。

Не дано людям знать , чего им для своего тела нужно

だが、この訳文だと、意味がわかりづらい。「なくてはならないもの」が何なのかが、いまいち、よくわからない。スリッパが必要なのに、長靴をほしがっていることを指しているのは、わかる。だが、つまりは「メメント・モリ」とか「人間の死の必然性と世界の永続性のあいだにある矛盾」いう話なのかというと、そうではない気がする。

この赤ちゃんを、助けた天使がいたとしたら。

捨てた母親は、誰かに発見されてほしかったのか、タオルで巻いたうえで、軽く土をかけただけだったから、通行人が泣き声を耳にして、赤ちゃんは助かったようだ。彼女は、産み落とした赤ちゃんを自らの手で殺めつつも、どこかで助かってほしいという葛藤に苦しんだに違いない。

ミハイルのような心優しい天使が、この河原で、母親によって生き埋めにされた赤ちゃんの魂を奪い去るのにしのびなく、立ち去ったのだとしたら、この赤ちゃんのその後の人生を確認するために、彼は、もう一度人間の世界に、人間として堕ちてくるべきだろう。

その時、かつて天使だった男は、何を目にするだろう。

「なくてはならないもの」を直観すらできず、奇跡が台無しになっている光景を。

やはり、「なくてはならないもの」を、知ることが、与えられてない人類の悲惨を。

人間の中の愛の欠落を。

神の不在を。

まさか。

(おわり)

読書会のもようです。

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