チャールズ・ディケンズの『二都物語』読書会(2017.1.20)

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2017.1.20にチャールズ・ディケンズの『二都物語』の

ツイキャス読書会を行いました。

メルマガ読者の皆さんからいただいた感想文はこちら

私の感想文です。

『人生に甦る Recalled to Life』

英語の”Life”は、『人生』とも『生命』とも訳される。『人生に甦る (Recalled to Life.)』 『われは、復活(よみがえり)なり、生命(いのち)なり(I am the resurrection and the life.)』マネット医師は、バスチーユ監獄に18年間下獄したために、理性を失っていた。しかし、一人娘ルーシーの献身的な愛によって人生に甦った。また、若くして希望を見失ったシドニー・カートンも飲酒と放蕩ゆえに荒んだ生活をしていたが、ルーシーに出逢ったおかげで、生きる意味を見出すことができた。誰かへの愛が、孤独な人間の“Life”を甦らせる。誰かへの愛によって、孤独で寂しさに沈んでいた人間は、人生をやり直すことができる、絶望して自暴自棄の人間も、復活することができる。

二都物語の登場人物たちには、最初から幸せな人間など一人もいない。ルーシーがダーネイと結婚して、彼らの小さな家庭を築いたほんの何年かが、ささやかな幸福の日々だった。だが、やがて、その平穏な生活に、遠くから足音が忍び寄る。ルーシーを中心に結ばれた金の糸は、過酷な運命に翻弄され、そのたびに、彼らは精神力を試され、また、多くの隠された事実が明らかになった。カートンが、ルーシーと交わした秘密の約束によって、彼の生命は、ルーシーに捧げられた。まるで、パズルの最後のピースのように、彼の行為は、金の糸の最も強い結び目になった。神の摂理があるとすれば、シドニー・カートンの数奇な人生こそが、彼の意志を超えた、摂理に導かれていたと描かれている。彼の生命はひとつの奇跡となった。

彼が、エゴにとらわれ、つまらない嫉妬でダーネイを見殺しにしていれば、この物語は成立しない。奇跡もなかった。カートンは、自分の人生を生きることはなかったし、彼の生命は、生きながらに死んだままだっただろう。飲酒にふけって、自殺のような孤独な死をむかえただろう。また、マネット医師は、死ぬまで、心を閉じたまま靴を作り続けただろう。Life、つまり人生と生命、その二つが輝くとき、この世に奇跡が起こる。そう信じさせる力のある作品だ。

(おわり)

『二都物語』のあらすじ

第一部 『人生に甦る』

1775年に、ロンドンからドーヴァーへの道のりで、郵便馬車を追いかけて停めた男がいました。男はジェリー・クランチャー、ロンドンのテルソン銀行の従業員です。彼は、同行員のジャービス・ローリーに言付けを運んできたのです。ローリー氏は、銀行宛の秘密の返答として、ジェリーに「人生に甦る リコール・トゥ・ライフ」のメッセージを託します。テルソン銀行の顧客であった、フランス人のアレクサンドル・マネット医師が、18年間の投獄されていたバスティーユの監獄から釈放されたのです。ローリー氏は、ドーヴァーで、マネット医師の一人娘ルーシーと彼女の保護者、ミス・プロスと落ち合います。ルーシーは父親が死んだと信じており、彼が生きているという真実を知らされて、失神してしまいます。ローリー氏は、ルーシーをパリに連れて行って、マネット医師と再会させます。

パリのサンタントワーヌ近郊では、マネット医師の元使用人ドファルジュと酒店の店主であるその妻テレーズによって彼の部屋が与えられました。ローリーとルーシーは、拘禁反応よって靴作りに没頭しているマネット医師を屋根裏部屋で見つけます。彼は、当初、娘のルーシーを認識できませんが、彼女の母に似た、青い目と長い金色の髪、彼が投獄されたときに袖の上についていた金髪によって彼女のことを思い出します。ローリー氏とルーシーは彼をイングランドに連れて帰ります。

第二部 『金の糸』

1780年、フランスの亡命貴族 チャールズ・ダーネイは、裁判にかけられています。イギリスと独立をめぐって交戦状態にあるアメリカに、イギリスの機密情報を売り渡したという容疑で逮捕されたダーネイは、反逆罪で極刑を宣告される寸前でした。証人は英国スパイ、ジョン・バッサード(ソロモン・プロス、ミスプロスの弟)と彼の使用人、ロジャー・クライ。しかし、チャールズ・ダーネイの弁護士ストライヴァーは、彼にそっくりの同僚、シドニー・カートンを引き合いに出し、バーサッドらの目撃証言の信憑性をくつがえし、無罪を勝ち取ります。ダーネイの証人として、5年前に、ドーヴァー海峡を渡る船で乗り合わせたマネット医師と、ルーシー親子も、証人として出廷していました。法廷で、シドニー・カートンは、ルーシーに一目惚れします。

パリでは、道端で、ガスパールの子を馬車で轢き殺した貴族、マルキス・エヴレモンド侯爵(原書ではそういう名前だそうです)が、補償として金貨1枚を投げつけます。事故の目撃者ドファルジュは、ガルパールを慰め、侯爵の馬車にその金貨を投げ返し、怒らせます。

領地に戻った侯爵は、彼の甥で相続人のシャルル、エヴレモントこと、ダーネイと再会します。叔父や貴族に嫌悪感を抱くダーネイは、相続放棄を叔父に告げ、イギリスで母親の旧姓D’Aulnais(ダーネイ)を名乗のり、暮らすことを伝えます。恐ろしいことに、叔父は、ダーネイが、皮肉にもマネット医師の娘と結婚したことを知っていました。
その夜、子どもを轢き殺されたガスパールは、マルキス侯爵の馬車の下にしがみついて、彼の領地まで追いかけ、館に忍び込み、侯爵を刺殺し復讐を遂げます。侯爵の胸には、「さっさと墓に運べ、ジャックより」というメモが残されていました。一年後、ガスパールは逮捕され、村の水汲み場で絞首刑にされます。

ロンドンでは、ダーネイがマネット医師が、ルーシーとの結婚の許可を得ます。弁護士のストラーヴァーも、ルーシーと結婚しようとしますが、ローリー氏に助言され断念します。また、シドニー・カートンも、ルーシーへの彼の愛をも告白しましたが、彼女が彼を愛していないことを知っているので、「あなたとあなたの愛する人のためなら、なんでもします」と約束します。

結婚の朝、ダーネイは彼の本当の名前と家族の系統をマネット医師に告白します。マネット医師は、その告白をきいて、拘禁反応をぶり返し、しばらく靴作り強迫観念に陥るはめになりますが、ローリー氏とミス・プロスの献身的な看護により、ダーネイとルーシーの新婚旅行から帰る前に回復します。ローリー氏とミス・プロスは、パリから持ってきた製靴用のベンチと道具を破壊します。ダーネイの正体は、ルーシーに秘密にされたままです。彼らの間には息子(幼少時に死亡)と娘、ルーシーが生まれます。独身のローリー氏は、もう一つの家と家族同然の居場所を見つけます。ストライヴァーは3人の子もちの豊かな未亡人と結婚し、出世します。カートンは、年6回ほどルーシーの家を訪問し、家族の親友として受け入れられ、小さなルーシーの特別なお気に入りになります。

1789年7月14日のバスティーユ襲撃で、ドファルジュは、革命の人民リーダーとして活躍します。マネット医師の独房、北塔(ノースタワー)105を徹底的に捜索し、医師の書いた文書を入手します。エヴレモントの館が襲撃され、放火され、彼の使用人であるギャベルが逮捕されます。

1792年に、ローリー氏は、革命のさなかにテルソン銀行パリ支店に赴任して、重要な文書の保管業務に携わります。ダーネイは、アベイ監獄に収監され、処刑されそうになっているかつての使用人ギャベルから手紙を受け取ります。彼を助けるために、ルーシーやマネット医師に黙って、パリへと出発します。

第三部 『嵐のあと』

パリに到着したダーネイは、亡命貴族として逮捕されラフォルス刑務所に収容されます。彼を救出するため、マネット医師、ルーシー、娘ルーシー、ジェリー、およびミス・プロスは、ロンドンからパリに移住します。一年と三ヶ月が過ぎ、ついにダーネイの公判を迎えます。

バスティーユの英雄として崇められているマネット医師はダーネイの弁護のために証言し、無罪を勝ち取りますが、ダーネイは翌日、再逮捕されます。告発したのはドファルジュであり、マネット医師がバスティーユの独房に隠していた手記が、皮肉にも、彼の罪を告発するものになってしまいます。一方、ミス・プロスは、行方不明の弟ソロモンとパリの街なかで偶然にも再会し、不肖の弟が、フランスのスパイのバーサッドとして活動していることを知ります。その場所に、突然カートンが現れ、バーサッド(ソロモン)を1780年のダーネイの裁判で彼を反逆罪に陥れようとしたスパイであると見破ります。また、ジェリーはもう一人のスパイ、ロジャー・クライが、まだ生きていることを証言します。バーサッドを英国裁判所に告発すると脅して、カートンは、バーサッドと取引をします。

公判で、ドファルジュは、エヴレモント侯爵とその兄が、ドファルジュ夫人一族を虐殺した事実を告発し、侯爵の甥であるダーネイをギロチン刑に処すことを要求します。ドファルジュは、バーサッドからダーネイの血統を聞き出したのです。証拠は、マネット医師の手記です。それは、ドファルジュ夫人の兄と姉を治療したマネット医師が、侯爵兄弟を当局に告発しようとして、逮捕されたことを訴える書き残した手記でした。ダーネイの叔父、マルキス侯爵は、ドファルジュ夫人の姉を、誘拐暴行し、助けに来た彼の弟を、決闘のすえ殺したのでした。また、ドファルジュ夫人の父は心臓発作で死に、ドファルジュ夫人は、海辺の街に里子に出されてなんとか生き延びました。侯爵兄弟は、金でマネット医師の口をふさごうとしましたが、失敗したため、密告を防ぐために彼をバスティーユ送りにしたのでした。結局、マネット医師の手記が、決定的な証拠となり、マネット医師も、告発人の一人となったまま、陪審によって、ダーネイに死刑宣告がくだされます。

その間、カートンは、ドファルジュの酒店で、夫人がマネット医師、ルーシー、娘ルーシーまでも告発しようとしているのを盗み聞きします。彼らにもギロチンが迫っています。また、ドファルジュ夫人が侯爵に虐殺された家族の最後の一人であることを知ります。マネット医師は、ダーネイ救出のためにあらゆる試みが失敗したため、靴作りの拘禁反応をぶり返します。しかし、なんとか逃げる馬車の手配だけはしたのです。カートンは、通行証明書を、ローリー氏に預けて、マネット医師の手配した馬車で、皆がいち早くパリから逃げるように促します。

死刑執行が始まる直前に、バーサッド(ソロモン)はカートンを刑務所に入れてダーネイに面会させます。バーサッドと交わした取引は、カートンが、ダーネイと入れ替わるのを、黙認することでした。カートンは、眠り薬でダーネイを気絶させ、彼と服を交換して入れ交わります。身代わりに処刑されることを選んで、ダーネイを家族とともにパリから脱出させます。カートンは、ダーネイに。ルーシーあての遺言を託しました。
一方、ドファルジュ夫人は、ダーネイの家族もギロチン送りにするためマネット医師宅を訪れます。留守番のミス・プロスに問いただし、彼らが逃亡したのを知ります。彼女たちは揉み合いになり、ピストルが暴発して、ドファルジュ夫人は、即死、ミス・プロスは、永久に耳が聞こえなくなります。

同じく死刑宣告された無実のお針子が、ダーネイとカートンの入れ替わりに気づきます。カートンの無私の勇気と犠牲に感銘した彼女は、ギロチン台の上で、お互いに励まし合います。シドニー・カートンは、おそらく最期に思ったのは、「いましていることが、いままでにしたどんなことよりいいことだ。これから行くところは、いままでに知っているどんなところより、はるかにすばらしい安らぎの地だ」ということでしょう。

(終わり)

英語版のウィキペディアを自動翻訳したものを参照にしました。
翻訳は新潮文庫版 加賀山卓朗氏のものによる。

ツイキャス読書会のもようです。

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