2015.6.27に行った
島尾敏雄 『魚雷艇学生』 読書会のもようを
録音しました。
普通の学生が、1年ちょっとで魚雷艇特攻部隊の
特攻隊長になって
200名近くの特攻部隊を指揮するという
太平洋戦争の実話を元にした小説です。
★襖(ふすま)を閉めたことに関して補足
読書会の音声を聞き直していて
説明の足りなかった部分があったので、
ご説明します。
『魚雷艇学生』で、最後にふすまを閉めたのは
あれこそが『ディシプリン』だと私は思います。
ふすまを開けて飲んでしまう行為が、
自分たちの特攻精神=ディシプリン(自己規律)を
乱してしまうという用心から
ふすまを閉めたのではなか?
ふすまの向こうは、世俗です。
世俗社会をふすまで遮断しないと、
特攻するまでの精神の緊張を保てない。
自分たちのディシプリン=自己規律を守れない。
だからふすまを閉めたけれど、
そのディシプリンを犯してくる
下士官が、雪崩れ込んできた。
そして、自分たちのディシプリンを守るために、
乱闘して、なおかつ、そのけじめとして海軍古参上官を殴った。
こういう話だと思います。
私が福音書を感じるというのは、
福音書の十二使徒(ディサイプル)は常に
イエスの教え(ディシプリン)試されて
思い惑っています。
その姿にダブりました。
特攻命令が福音だとすると、
それを最後まで遂行できるかどうかは
これはディシプリンがないと難しい。
ふすまの向こうの世界は
もう戻れない世俗(欲望の)社会だから
ふすまで断てきった。
そういうことを書いているんじゃないかと
思いました。
魚雷艇学生がいつも信仰の危機にある
カトリック司祭みたいだというのは
その意味においてです。
あとで、調べたら
島尾敏雄は、カトリックとして
受洗していたそうです。
その経緯は、戦艦大和に搭乗し、
同じく戦後となったカトリックとなった
吉田満との対談で明らかになっています。
キリスト教文学を戦争文学に変えて書いている作品です。
作品の意図するところとしては、若干、カトリック作家の
グレアム・グリーンの『権力と栄光』に似ていると思いました。
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