
2017.8.11に行った井伏鱒二先生の『黒い雨』読書会のもようです。
私も書きました。
『帰らざる故郷』
僕も食堂を出ると、もう一度鰻の子の遡上を見るために非常口から裏庭に出た。今度は慎重に足音を殺して用水溝に近づいたが、鰻の子は一匹も見えないで透き徹った水だけ流れていた。
八月十五日正午、玉音放送の前に、閑間重松は、鰻の稚魚が、勤務先の工場の用水溝を遡上しているのを観察した。『広島が爆撃された八月六日ごろはどのあたりも遡上していたことだろう』鰻や、サケ・マス、渡り鳥は、帰巣本能が発達している。鰻は、海で卵を生み、稚魚は、川を遡って、そこで成長する。鰻の生態は、謎に包まれていて、遡る川が、親の成長した川と同じなのかは、よくわからないが、成長するために川を遡るのである。
正体不明の爆撃で、一般庶民が悲惨な目に遭う様が克明に記されている。富国強兵の末路が、広島と長崎の原爆投下だった。それは日本史の不可逆的な節目だ。原爆を境に、日本人は、長い歴史で積み重ねてきた価値観の多くのものを失い、別の価値を模索して、現在に至る。
戦後、原爆症を患った閑間重松は、同じ患者の庄吉、浅二郎とともに、鯉の養殖をはじめる。戦前までの日本人には日本人の帰るべき川があったが、戦後は、新しい溜池に移され、養殖されることになったような、そんな戦後の日本人のもどかしさが、鰻と鯉の挿話の対比から感じられた。
戦争で負けるということの過酷さというのは、原爆投下を境に、日本人が全く違った生き方を強いられているというところにある。日本国憲法の『国民主権・基本的人権の尊重・平和主義』の三原則を、素直に受け入れることができない鬱屈の奥底には、失われた民族の尊厳への怒りがある。もう帰るべき故郷がないという喪失感への怒りだ。原爆が破壊したのは広島・長崎だけでない。日本人の帰るべき心のなかの故郷が、焦土と化して、汚染され、今も失われたままであるようなさみしい気持ちになった。
この怒りとさみしさを、平和への願いにかえて生きること覚悟こそが、戦没者への最大の慰霊だと、私は思う。
(おわり)
読書会の模様はこちらです。
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