岡本かの子『鮨』読書会のもよう(2017.6.2)

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2017.6.2に行った岡本かの子『鮨』読書会のもようです。

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私も書きました。

『鮨は没落していく現象の核心である』

子供は、ふと、日頃、内しょで呼んでいるも一人の幻想のなかの母といま目の前に鮨を握っている母とが眼の感覚だけか頭の中でか、一致しかけ一重の姿に紛れている気がした。もっと、ぴったり、一致して欲しいが、あまり一致したら恐ろしい気もする。

この世の現象が、刹那の夢幻に感じられるほど、人は、それだけ自分の内なる本質である意志を、強く意識する、とショウペンハウエルは述べた。

目の前で寿司を握る母と幻想の母が一致しそうになり、彼は、恐ろしい気がした。

そんなものを垣間見てきた湊の『謎めいた眼』は、ともよを惹きつけた。

その証拠に、ともよは、

『眼を振向けられ自分の眼と永く視線を合せていると、自分を支えている力を暈されて危いような気がした。』

それはなぜだろうか?

湊だけが、ともよを支えている、意志の力の在り処を見据えているからだ。

『無邪気に育てられ、表面だけだが世事に通じ、軽快でそして孤独的なものを持っている』

そんな彼女もまた、この世を『春さきの小川の淀みの淵』のようにはかなく感じているが、一方で自分の中の『杭根』の力で自分自身を支えているのだ。

彼女の内なる本質を貫いているこの『杭根』のような意志には、誰も気づかない。

彼女自身もまだ気づいていない。この世では見えないものだから。

没落をくぐり抜け、髑髏魚のようになった湊だけには見えている。

ともよは、子ども時代の湊と似た神経質な部分をもっているが、すでに大人になりつつある彼女は、前途の困難を理知によって乗り越えていくだろう。

現に、彼女は、湊の鋭い理知にふれて深く感化された。

古代ローマの遺跡のような病院の焼け跡

湊と別れた哀しみによって、彼女がゆるがされることはない。

「――鮨屋は何処にでもあるんだもの――」

『意志は没落していく現象の核心である。』(ショウペンハウエル『自殺について』)

鮨もまた、没落していく湊の核心であった。

(おわり)

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