織田作之助『夫婦善哉』読書会のもよう(2017.5.19)

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2017.5.19に行った織田作之助『夫婦善哉』読書会のもようです。

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私も書きました。

「日本の家制度にあらわれたる夫婦善哉の形式」

蝶子は、芸者としては、たぐいまれなる素質をもちながら、ダメ夫の柳吉に、稼いだものすべてを捧げてしまう。そして何度も、柳吉に裏切られる。一方、柳吉の頭にあるのは、実家のことである。長男で、家を継ぐべき立場だったのに、蝶子と一緒になったばかりに、家を追い出されて、廃嫡にされてしまう。相続権がなくなることや、娘に会えないこと以上に、ゼロから、自分で一家を成す責任に、最初からめげてしまっている。蝶子の願いは、柳吉ときちんとした所帯と家業をもって、仲睦まじく暮らしていくことだ。長男だったら、お墓も、家業の信用も自分のものだったのに、それらを、新しい所帯で、すべて自分で興していかなければならない面倒が、柳吉にはある。男が、一代で築けるものは、男の器量にかかっている。しかし、柳吉は、器量を試される正念場で、性根が座らない。人はそれを「甲斐性なし」という。どんな商売をやっても長続きしない。また、蝶子の活躍も、彼女の実家の応援も、なんとなく気に食わない狭い心の持ち主だ。廃嫡以前の彼には、蝶子に入れあげるだけの甲斐性があったが、廃嫡以後には、甲斐性どころか、器量もなくしてしまった。中気で寝たきりの彼の親父が的確に見抜いている不肖の息子の器は、家を出れば広がりようがない。蝶子は、寝たきりの柳吉の父に、二人の関係を認めてほしい切ない思いがある。なんとか、自分の手で、柳吉を、世間の誰もがうらやむ男に育て上げようとした。彼女は、柳吉のしぼみつつある器量に、あふれるばかりの情熱を注ぎ込む。しかし、その情熱が、ことごとく柳吉の神経を逆なでするので、やがて、器はひっくり返って、元の木阿弥になってしまう。裏切られるたびに蝶子は、信心深くなる。

器を、二人で更に広げるには、柳吉の覚悟が必要だ。夫婦の器には、それぞれ、応分の白玉があり、沼地のような、汁粉から、なかよく顔を出しているものの、底意はわからない。期待の甘さと腐れ縁、水掛け論、そんな千日前法善寺横丁。

(おわり)

読書会の音声です。

 

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