ジョージ・オーウェル『一九八四年』読書会のもよう(2017.5.26)

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2017.5.26に行ったジョージ・オーウェルの『一九八四年』読書会の模様です。

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私も書きました。

『ジュリアに傷心(ハートブレイク)』

ウィンストンは、ずっと思考警察にマークされていた。

オブライエンは、陽動作戦によってウィンストンをおびき出し、彼の思考犯罪を上手に告発する。『寡頭制集産主義の理論と実践』には、「二重思考」の秘密が暴露されていた。それは、『意識的な欺瞞を働きながら、完全な誠実さに伴う目的意識の強固さを保持する』という「二重思考」によって思考回路が混乱して、権力批判が不可能になるというものである。

党員のウィンストンにも、まだ人間性が、かろうじて残っていた。人間性とはなにか? 個人の尊厳という重要な言葉がある。英語で言えば、尊厳は、dignityである。この言葉は、indignation(怒り)という言葉と関係があるのだ。個人の尊厳が、人間が人間たる本質だとすれば、人間は、怒らなくなったとき、もはや人間ではなくなる。

「二重思考」は、人間の怒りの感情を押さえつけ、自ら尊厳を譲り渡し、人間を人間以下の何者かにしてしまう考え方だ。

ウィンストンは、論文を読んで、党中枢が、権力を乱用している実態に怒りを感じた。しかし、党員である彼のこの怒りの感情を、最後の一片まで奪い去ることにオブライエンの企みはあった

ウィンストンが、ネズミを恐れるという感情を巧みに利用した。なぜ、ウィンストンがネズミを恐れるのかは、彼の『自己欺瞞の感覚』に関わっている。なぜなら、その理由を、彼自身がうすうす知っていたからだ。それは、『脳の一片をもぎとるほど死も恐れず頑張れば、それを明るみに引きずり出すことができたかもしれない。(P223)』のだ。

でも彼は、そうはしなかった。この弱点をオブライエンに突かれた。彼の『自己欺瞞の感覚』は、彼自身に復讐した。

ウィンストンはネズミを使った拷問に耐えなければならなかった。『脳の一片をもぎとるほど死も恐れず頑張れば、』そのとき明るみに出されるのは、人間の尊厳であったはずだ。

怒りによって、身を滅ぼすことは、この世界の人間が尊厳を守るために残された最後の選択だったはずだ。

(おわり)

 

読書会の模様はこちら

 

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