2019.6.22に行った中島敦『弟子』読書会のもようです。
私も書きました。
『麒麟がくる』
(引用はじめ)
魯の哀公が西の方大野に狩して麒麟を獲た頃、子路は一時衛から魯に帰っていた。(第十五章)
(引用終わり)
孔子の没する二年前に、気持ち悪い生物が捕まった。みんな、「きもちわりー」といっていたので、孔子が、「どれどれ、どんな生き物かな?」その生き物を見ると、なんと、果たして、それは、麒麟であった。(動物園にいる首の長いアレではなく、キリンビールのラベルのアレであるところの)麒麟というのは、平和で安定した世でしか現れない伝説の聖獣である。孔子は驚愕した。天を恨んだ。神聖な麒麟が、乱世に捕獲され、なおかつ、珍奇な生き物として晒し物にされている様を見て、孔子も「こりゃだめだ」とつくづく思った。孔子が記したとされる魯の国の史実『春秋』は、この『獲麟(かくりん)』の挿話をもって終わっている。
五十にして天命を知る。(為政)天命を知ったはずの孔子さまも、己の目指す世界の実現に挫折して、天に見放され、途方に暮れて死んでいった。
理念に生きるというのは、無限に平行線を引き続ける行為に似ている。交わらない平行線など、本当は、この経験できる世には存在しない。しかし、善と悪の交わらない平行線を、永遠に引き続ければ実現しないことはない。孔子の頭の中には交わらない平行線がある。孔子の説いた仁や徳や義は、彼が頭の中に引き続けたく平行線の先にある。
子路も孔子の弟子たちも、平行線を引くかのように、ウンウン言いながら、放浪したのである。だが、結局、平行線の交わるところに、麒麟を見てしまった。よって、子路は塩辛にされてしまう。
「キモかわいい展」に『ハダカデバネズミ』などの「キモかわいい動物」と並んで『麒麟』が展示されている。タピオカを片手に見物している女子高生に「麒麟だって、わー、マジきもいー」とかいうのを想像しても、乱世においては、さもありなん、だ。ちょっぴり、残念に思うだけだ。
中島敦先生も、昭和十八年に、麒麟を見つけて、慟哭したのだろうか?
来年2020年の大河ドラマのタイトルは『麒麟がくる』だそうだ。長谷川博己が演じる明智光秀が主人公。主君信長を裏切った男の物語だ。要するに、仁も徳も義はあったもんじゃないという、現在の腐りきった政治状況に対するNHKの精一杯の皮肉だと思いたい。そうじゃないかもしれないけど。
(おわり)