2019.3.22に行った村上春樹『アンダーグラウンド』読書会のもようです。
私も書きました。
『資本主義の危機と末法思想&メシア思想』
阿弥陀如来の名号を唱えれば、往生できる。無量寿経に説かれている仏教のエッセンスはこれだけだ。なぜ、同じく仏教の流れをくみながら、都心の地下鉄にサリンを撒いて、多くの無辜の人々を殺し、後遺症に苦しませるような思想に、オウム真理教はたどり着いたのか?
『罪と罰』のラスコーリニコフは『一つの殺人は百の善行で償われる』と考えた。『カラマーゾフの兄弟』のイワン・カラマーゾフは自作の『大審問官』において異端審問による殺人を正当化した。『ポア』という、殺すことで魂を救済してやるという麻原彰晃とオウム真理理教の幹部たちの出現も、すでにドストエフスキーが、作品の中で予言していたものだ。麻原は現代のスタヴローギンで、オウムの一連の事件は、現代版の『悪霊』だ。
仏教には、末法思想がある。この世はどんどん、悪化しているという考えだ。オウム真理教は、末法思想やメシア思想に依拠しながらも、教団発展の過程で、人類の救われなさを、あえて人類の滅亡を早めることで、逆に救済するという、でたらめな理論でっちあげた。ファシズムの疑似革命理論のようなものだ。それが、地下鉄サリン事件の理論的根拠となった。
50人もの命を奪ったNZのヘイトクライムも、単独犯であるが、地下鉄サリン事件を起こした人々と同じ末法思想&メシア思想の存在を感じる。トランプ大統領の誕生の背景となったオルト・ライトだって、資本主義の危機に恐怖する人生の失敗者予備軍に支えられた、ある種のメシア思想だ。日本の右傾化し続ける陰惨な社会状況と、それを放置する政治家の不作為だって、根っこの構造は、変わらない。資本主義の危機に呼応して、末法思想(の亜種としてのヘイトクライム)とメシア思想が出現している。
念仏を無心に唱えるのは、自己欺瞞から自由になるためだ。それ以上でもそれ以下でもない。あとの理屈など、全て屁理屈だ。少なくとも浄土真宗の開祖、親鸞はそう考えた。日蓮もそうだ。(彼らの後継者たちは疑似革命理論に酔ったのだが。)
やらなくてはならない農作業があるから、私たちはやってこれたようなものです。苗代を作ったら田植えだ、田植えが終わったら今度はりんごの花摘みだ。それに今度は花粉をつけて……なんて休みもなく仕事が続きます。それで気が紛れるから頑張って生きていけるんです。(P.706)
長野県の上田市で農業を営む、亡くなった和田さんのお父さんの言葉だ。
「大地は皮膚を持っていて、その皮膚病こそが人間だ」とツァラトゥストラは言った。「大地に接吻して、神に謝りなさい」と、ソーニャはいった。
人間が大地に巨大な穴を掘ったから、大地を裏切るような『アンダーグラウンド』が現れた。大地の意義を見失って、足を踏み外した人が、多くの人を道連れにして、その巨大な自己欺瞞の穴に落ちていった。
人が生きていくのに必要な土地だけ耕すことで、大地の意義を知って、無心で生きていければ、それで十分なはずだのに。
(おわり)
読書会のもようです。