2019.10.25に行ったテネシー・ウィリアムズ『欲望という名の電車』読書会のもようです。
私も書きました。
「どんなことになろうと生きていかなくちゃならないんだよ」
ヒューイ・ロングのことばを覚えといてほしいな――「人間だれでも王者なり」ってんだ! この家じゃあおれが王様だぞ、肝に銘じとけ! (カップと受け皿を床に投げつける)
ヒューイ・ロングは大恐慌時代に、ルーズベルトと大統領選を争った民主党の上院議員である。ルーズベルトの再選を阻むために、「富の共有運動(”Share Our Wealth” program)」を訴えて選挙活動したが、暗殺されてしまった。彼の主張は単純で、ワシントンD.Cやウォールストリートに巣食う金融資本家(彼らがルーズベルトの支持者である)に一律財産税を課して、失業にあえぐ人々に再分配するというものだった。
ヒューイ・ロングは、アメリカのポピュリスト政治家の代名詞であり、たくさん映画化されている。私も「オール・ザ・キングスメン」は観た。題名の通り、スタンリーの叫んだ「人間だれでも王者なり」である。
スタンリーは、ドナルド・トランプに似ていると思った。どちらも家父長的で、人権とか平等とかのリベラルの振りかざす理念が嫌いである。ヒューイ・ロングは、差別や白人至上主義を強く批判していたが、その点だけは、オルト・ライトと呼ばれる白人至上主義者層を取り込んだトランプとは違う。トランプもポピュリストと呼ばれるが、詳しく見ると、ヒューイ・ロングとは違う。
一方ブランチは、民主党の大統領候補だったヒラリー・クリントンみたいなリベラルで、アンコンシャス・ピポクリット(無意識の偽善者)である。
ステラが、「ううん。スタンリーだけよ、仲間のうちでものになりそうなのは」とブランチにいう。一般のアメリカ人は、スタンリーやトランプのような、短絡的で、野性的でありながらずる賢く、抜け目ない男性に、本能的に畏怖を覚えるのだろう。同時にスタンリーは、マッチョな割には甘えん坊にも見え、憎めないとも思っているようだ。
スタンリーが、ブランチをレイプして、廃人にしてしまっても、なお、ステラはスタンリーと離れられない。「どんなことになろうと生きていかなくちゃならないんだよ」というユーニスの言葉に、人間の業を感じた。
テネシー・ウィリアムズは、ブランチを自分の境遇に重ね合わせ創作したという。実姉が、心の病で狂気に沈んだため、自分も狂気に陥ることを恐れていた。また、老いてゲイとしてのセックスアピールがなくなり孤独な晩年を過ごすことも極度に恐れて、薬物に逃げたという。そして、スタンリーの存在が体現するような、潜在的に自分を迫害する、アメリカの暴力的な権力志向の社会には馴染めないが、なんとか順応して生きていくしかないという悲壮な覚悟もあった。
そう思い合わせると、狂気のブランチも、母思いの独身者ミッチも、共依存体質のステラも、作者の分身であると強く感じた。
(おわり)
読書会の模様です。