
2016.11.18に行ったツイキャス読書会のもようです。
課題図書は、武者小路実篤の『友情』でした。
参加していただいたメルマガ読者の皆さんに頂いた、800字の感想文です。
私の書いた感想文です。
『マジ無理だから』
再読すれば、のじまに対して「シムラ~うしろうしろ!!」叫びたくなる。「のじま、大宮と一緒にいると、杉子の可愛らしい小顔はポッと赤くなっているゾ。なぜそれに気づかないのだ、のじま!」杉子がピンポンでうまいことやると、我がことのように喜んで、「よし!」とか声を上げてしまう、間抜けな、のじま。神ってるほど、純粋なおとこ、のじー。肉欲を隠した狼の群れが、のじーの運動神経の悪さを、笑い者にしようと、悪ノリしたとき、仁王の如くラケットを手にした大宮が立ちはだかるシーンがこの小説のハイライトだ。ちやほやされて、調子づいて、のじーを嵌めようとするゲスの策略に気づかない、あるいは気づかないふりをしているゲスの極み乙女、杉子に、大宮は怒りのスマッシュを叩き込み、江戸の敵を鎌倉で討つような獅子奮迅をみせる。上気したおでこに張り付いた髪の毛をなで上げる杉子の目には、のじーは見えない。その代わり、怒髪天つく大宮に、杉子は荒ぶる神の御神体を見た。のじーは、神を語る男である。神に孤独の試練を与えられるほど愛されている男である。内村鑑三ファンの大宮も、のじーとの友情において神と関係している。しかし、ゲスの極み乙女と、その周辺は、神を解しない、おしまいの人間の群れである。嘘つきの群れである。大宮の倫理的潔癖は、「自分に嘘をつけない」性格にある。つまり、大宮は自己欺瞞が大嫌いなのだ。そして、神ってる、のじーとの関係だけが、大宮の自己欺瞞の罠から救い出してくれた。だから、大宮はのじーが大好きだ。「ゲス乙女、杉子の魂も、願わくばのじーとの関係の中で救い出されてくれればいいのに」と大宮は、力の限り祈る。しかし、神のイタズラなのか、杉子は友のために鬼神と化した大宮に恋することで、「女に生まれてよかった」と神に感謝する。杉子を勝手に理想化して盛り上がって、観音様のように拝んでしまう、のじー。そんな、のじーを、「マジ無理だから」と生理的に拒否する杉子。このすれちがいの果てに、大宮はパリに逃亡する。
(おわり)
前半雑音が入るので、聞きづらければこちらでお楽しみください。
朗読はこちらです。
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