夏目漱石『こころ』読書会のもよう(2017 6 23)

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2017.6.23に行った夏目漱石『こころ』ツイキャス読書会のもようです。

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私も書きました。

『私は★淋しい★人間★です』

先生もKも故郷を捨てた孤独な人たちである。

だからこそ、彼らは、憂世の儚さを痛切に感じるのである。

殉死というのは、薄志弱行なる魂を、永遠に連なるものとして生かそうとする営みである。死の道だけが残された自由だと悟った先生は、時代遅れのやりかたに新しい意義を加えることを思いつき、明治の時代精神に殉ずる決断をする。

『三四郎』の与次郎は、私淑している『偉大なる暗闇 広田先生』を世の中に紹介して、新時代の青年として一旗揚げようとした。もしかすると、この学生もどこか、与次郎と同じように野心があったのかもしれない。

しかし、付き合うに連れて、先生に影のようにつきまとう『淋しさ』に次第に惹かれてしまった。そして、偶然にも先生の運命の立会人となってしまった。

あなたは私に会ってもおそらくまだ淋しい気が何処かでしているでしょう。私には、あなたの為にその淋しさを根元から引き抜いて上げるだけの力がないんだから。(上七)

『こころ』の先生もKも、もともとは薄志である。それなのに、なぜが、『意志の力を養って強い人間になる』という悲壮感で踏ん張ろうとした。その気合いは、新時代の青年だった彼らの矜持だったのかもしれない。

意志というのは、ショウペンハウエルによれば、生まれる以前の根源的な状態を指すものだ。人間の認識を越えた状態にあるものだから、気合いでは強くなりようがない。

その証拠に、お嬢さんへの恋愛感情すら、意志によってコントロールできていない。

『私は淋しい人間です』

薄志弱行を、精神的な向上心で乗り越えんとする魂胆が、人を淋しくするのだ。

一方『三四郎』の広田先生は、滑稽である。退屈である。目的もない。でも、淋しくもない。

与次郎が土産に買ってきた馬鹿貝のつけ焼を、「硬いね」といいながら、いつまでももぐもぐと噛んでいる広田先生のペーソスも、やりきれないが、それでも、薄志弱行ながらに生きていく上では聡明な態度かもしれない。

(おわり)

読書会の音声です。

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