コラム 『マッチ売りの少女』

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青空文庫版『マッチ売りの少女』

『マッチ売りの少女』のこのセリフが気にかかる。

「いま、誰かが亡くなったんだわ!」と少女は言いました。

 

 

「誰かが亡くなったんだわ!」の「誰か」は、誰のことであろうか?

 

私は、じっと考えた。

 

おそらく…、それは、マッチ売りの少女、本人である。

 

私は、彼女が、この時まさに、「自己の破滅」をむかえたと考える。

 

しかし、彼女は、まだ、「自己の破滅」を信じていない。

 

なぜだろうか?

 

哲学者キルケゴールは『死に至る病』において、こう述べている

 

人間は自己の破滅を信ずることは不可能である。

人間的にはそれが自己の破滅であるということを理解した上で、

しかも可能性を信ずるということ、それが信仰というものである

 

マッチ売りの少女は、大晦日の夜に街角で行き倒れて凍死した。

 

しかし、信仰の深い彼女には、

「自己の破滅」を信じることは不可能である。

 

 

だから、自分が死んだことを、他人事のように

 

「誰かが亡くなったんだわ!」と、とぼけてみせたのだ。

 

 

マッチのうちの一たばは燃えつきていました。「あったかくしようと思ったんだなあ」と人々は言いました。 少女がどんなに美しいものを見たのかを考える人は、 誰一人いませんでした。 少女が、新しい年の喜びに満ち、おばあさんといっしょにすばらしいところへ入っていったと想像する人は、誰一人いなかったのです。

 

最後の一たばは、すでに燃えつきていた。

 

しかし、彼女には信仰があった。

 

だから信仰の上で、彼女には、もう一たばを、

燃やすチャンスが与えられた。

 

そこには、可能性が輝いていた。

 

 

しかし、信仰を失った現代人、すなわち、われわれ読者は

マッチの炎のなかに広がる可能性のリアリティーを想像できない。

 

彼女は、「自己の破滅」を否定した。狂うまでに信仰が深かった。

 

だから、「いま、誰かが亡くなったんだわ!」と、叫んだ。

 

亡くなったのは自分なのに…。おそるべきひとりごと。狂信者。

 

(おわり)

 

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