
生まれてこのかた、深い人間不信にとらわれている大庭葉蔵は、
世間と折り合いを付けるために道化を演じてきた。
自分のなかに荒れ狂う「人間恐怖」を抑えこみながら
世間の期待の地平で、道化を演じ続けることが
彼の生き延びる唯一の方法だった。
劣等生の竹一に、「ワザ、ワザ」と道化を見破られて恐怖し、
道化がバレないようにウソのレイヤー(層)を、重ね続けた。
自らがウソそのものなりきる人生だった。
大庭葉蔵は、自宅で妻のヨシ子が、出入りの商人に犯されているのを目撃してしまう。
それも、墓地の幽霊などに対する恐怖ではなく、神社の杉木立で白衣の御神体に逢った時に感ずるかもしれないような四の五の言わさぬ古代の荒々しい恐怖感でした。
旧約聖書の創世記第三章に『パラダイス・ロスト(失楽園)』のくだりがある。
ヘビにそそのかされたエヴァは、禁断の果実を食べてしまった。
エヴァにすすめられて、アダムもその実を食べてしまいヤハウェの逆鱗に触れて
人間の祖先はパラダイスを追放され、この世に落ちてきたのだ。
ヨシ子が自分に寄せる無垢の信頼心を力にして
ウソだらけの生活から抜けだそうとした葉蔵は
ヨシ子(エヴァ)の背信を目の当たりにして、新生活からも追放される。
「神に問う。信頼は罪なりや。」
喀血して雪のなかに、日の丸を描いた葉蔵(アダム)は
睡眠薬を大量服用して昏睡。
「ヨシ子とわかれさせて」
癈人の落ち窪んでいく眼球の底で、永遠の放つ光が、みるみる遠ざかる。
「こうこは、どうこの細道じゃ?」
「こうこは、どうこの細道じゃ?」
人間失格 Human Lost 世間からも追放されたアダム。
なぜ彼は、ウソの中でしか生きられなかったのか?
葉蔵と関係のあった京橋のマダムは
「あのひとのお父さんが悪いのですよ」
と葉蔵を擁護した
「あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、……神様みたいないい子でした」
アダムは、ヤハウェが自分に似せて作った人形であった。
「人間恐怖」という原罪を背負って生きていた。
(おわり)
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