ヘルマン・ヘッセ『車輪の下』読書会のもよう(2018 3 16)

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2018.3.16に行ったヘルマン・ヘッセ『車輪の下』読書会のもようです。

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私も書きました。

「帝国と教育」

(引用はじめ)

そしてうたい終ったか終らないうちに、何かが、かれの心の奥底で、きりりと痛んだ。そしておぼろげな観念と追憶、羞恥と自責との、にごった流れが、かれのうちにおちかかってきた。 P226

(引用おわり)

材木屋の次男だった『赤と黒』のジュリアン・ソレルも神学校から出世の糸口をつかもうとした。旧約聖書をヘブライ語、新約聖書をギリシア語で読むようなことが、なぜ庶民を、出世させるのか? 森鴎外の小説『かのように』ではないが、国家というのは『かのように』で出来上がっている。

親や学校の先生の『敷いたレール』という言葉がある。一流大学に入って有名上場企業に入ったり、国家試験に合格して官庁に入ったりしていく。これが敷かれたレールだ。近代国家は、複雑なレールで秩序立てられた、『かのように』のシステムを支える有用な人材を選抜して育成している。

ハンス・ギイベンラアトもその敷かれたレールを進んだ。そのおかげで、彼の多感な魂は、車輪の下で無残にも引きちぎられた。神学校の寮の『ヘラス』(古代ギリシアの意味)から、三人がドロップ・アウトする。ヒンディンガアとあだ名された少年は、頓死し、ハイルナアは退学させられ、ハンスは精神を病んで休学となった。

ジュリアン・ソレルの通っていた神学校でも、頭がおかしくなってしまう神学生の様子が描かれていた。信仰もないのに、語学を詰め込まされ、聖書や古典文学の詰め込みを強いられる。この教育システムは、やがて帝国主義を露骨にする、近代国家の政治的手段である。その証拠に、軍隊も同じように、子供に詰め込み教育し、近代国家の軍制を支える人材を発掘育成している。

ギリシア時代は、教育は一部特権階級のなぐさみであり、また、支配の道具であった。ときが経て、教育は、国民すべての義務となった。さらには、帝国主義を正当化する手段となった。

ハンスの死は帝国主義の必然的な帰結だ。ハンスのように、自分を責めて自殺のように死ぬ学生がいるのなら、日本の現代教育もいまだに形を変えた帝国主義(覇権主義という)の産物なのだ。

(おわり)

読書会の模様です。

  • 2018 04.04
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