2019.8.2に行った井伏鱒二『黒い雨』読書会のもようです。
私も書きました。
『なぜ、蒙古高句麗(ムクリコクリ)と名付けたのか?』
蒙古高句麗の雲とはよく云い得たものだ。さながら地獄から来た使者ではないか。今までこの宇宙のなかに、こんな怪しげなものを湧き出させる権利を誰が持っているのだろうか。(P.65)
たいていの人は、クラゲ雲から目をそむけていた。草の堤に仰向けに伸びている怪我人も少なくない。例外としては、ただ一人、両手をクラゲ雲の方に突きだし「おおい、ムクリコクリの雲、もう往んでくれえ、わしらあ非戦闘員じゃあ。おおい、もう往んでくれえ」と繰り返して金切声を張り上げる女がいた。(P.67)
なぜ、原爆の雲を蒙古高句麗(ムクリコクリ)と名付けたのか?
鎌倉時代の文永の役と弘安の役に属国高麗を利用して、当時の最強のモンゴル帝国(蒙古)が攻めてきた。中公文庫『日本の歴史8 蒙古襲来』によると一般庶民にとって得体のしれない異国である蒙古(ムクリ)が攻めてきたことは、日本人に国難や、異国への恐怖、神仏の加護という、日本の近現代のナショナリズムの萌芽となるべき感情を発生させたそうだ。
神風が吹いて、辛くも蒙古の襲来をしのいだ日本に、『神の国』という民族的な自覚が芽生えたのも、鎌倉時代だそうだ。奈良時代にまとめられた『日本書紀』記紀神話にも、神国思想はある。そして、『本地垂迹説』は平安時代に普及している。しかし、鎌倉時代に武家階層や庶民にまで仏教がひろまり、仏教を軸とした『本地垂迹』の神国思想がさらに深化したのである。『本地垂迹』とは、神は仏の化身である。天照大神は、大日如来であり、熊野三山は、阿弥陀三尊の垂迹(化身)であるという考え方だ。
神や仏の住む神聖な国土という意識が、神国思想の根本にある。
この時代、日蓮は、この神国が末法によって侵されて、神仏が見捨て始めているので、自分が神々を率いて、国難を突破して神聖な国土を回復するのだという意気込みで身延山を開山し、法華経を弘布する覚悟を決めた。
また同時代の法然を始めとする専修念仏は、神を軽んじ、神国という考えを嫌った。悪人でも往生するというのは、権力と縁のない庶民に徹底的に寄り添う信仰である。原爆でなくなった亡者を、成仏させようとする重松の念仏は、神国を盲信せず、市井の庶民に寄り添う信仰のあり方を示している。
民族の戦争の歴史が、今を生きる我々の意識や信仰の奥底に複雑なかたちで眠っている。
(おわり)
読書会の模様です。