
2018.12.21に行ったドストエフスキー『悪霊 上巻』読書会です。
私も書きました。
『ニッポンニ・メルシイ・デスヨ』
日産元会長のゴーン氏を保釈もさせず、あんな劣悪な拘置所に1ヶ月以上も閉じこめるのは、おかしい、とフランスのニュース解説者は非難していた。革命のあった国の人は、革命のなかった日本の形ばかり近代化した司法制度の欺瞞に、苛立ちをかくせない。3畳の和室に拘置されたゴーン氏は、まるで、お白州に引かれてきた江戸時代の潜伏司祭のようだ。
1869年のロシアは、革命の機運が高まっていた。翌1870年には、革命なしで、上からの近代化を進めたプロイセンが、革命によって先に近代化したナポレオン三世のフランスとの戦争に完勝して、ドイツを統一する。
ドイツの近代化は、憲法や議会の形ばかりの設置で、『法の支配』らしきもの、いわゆる『法治主義』を確立したところに特徴がある。中身は鉄血宰相ビスマルクの専制ではある。彼の天才的な外交手腕で、戦争と革命を回避して、ドイツは国力を増大させ、急激に西欧の一等国の仲間入りを果たした。革命なしでも近代化は可能だと証明した。明治維新後の日本もビスマルクのプロシアを真似して形ばかりの近代化を進めた。
ドイツ系のロシア人レンプケが新知事に就任し、このロシア片田舎も、急激な近代化の波に襲われる。シュピグーリン工場の労働者がデモを行って、未払い賃金を請求する事件が起こる。労働者の組織化は、このころ台頭してきた社会主義者の入れ知恵による。
1840年台以降のフランスでは階級闘争によって近代化がどんどん進んだ。参政権のない無産階級が自分たちの権利を主張して、『法の支配』を訴え、政治に参加していった。後進国ロシアにはまだまだ、「権利の請求」は疎ましいものに思われていた。農奴が自分の権利を主張すれば、領地の管理人に笞で殴られるというのが、まだまだ当たり前の国だったからだ。ステパン先生も「笞打ち刑」を、とにかく恐れている。
我が日本はどうか? 世間様の笞に怯えて、なかなか権利を請求できない。芸能人の不倫にしても、『笞打ち刑』相当の世論が形成される。「忖度」という言葉にも現れているが、最近とくに、「お上」にへいこらする風潮が強い。「お上」のつくった日本の世論によって感情的に裁かれてしまっては、ゴーン氏もたまらんだろう。ウイ・サバ。
彼は、恐るべき反動の時代の犠牲者だ。
(おわり)
読書会の模様です。