2018.3.2に行ったアンドレ・ジイド『狭き門』読書会のもようです。
私も書きました。
「聖なる心 Sacré-Cœur」
光源氏は、中宮(父親である桐壺帝の后)である藤壺と密通し、不義の子をもうける。私は、『狭き門』を再読して、光源氏と藤壺の関係は、ジェロームとアリサの関係にそっくりだと思った。
光源氏が藤壺に思い焦がれるのは、母親である桐壷の女御の面影を彼女に中に探し求めているからだ。アリサもジェロームの母親に似ていると叔父に指摘されている。ジェロームがアリサに母の形見として渡した紫水晶の十字架の首飾りも、そのことを暗示している。
アリサは、十字架をジェロームに返し、彼の未来の娘に自分の名前をつけてほしいと頼む。アリサはジェロームなくして、神との関係に入れないのだが、その神がいなくては、三角関係が成立しない。つまり、光源氏と藤壺、そして桐壺帝(神)の三角関係は、ジェロームとアリサと、神との三角関係にそっくりだ。藤壺の産んだ光源氏の子は、冷泉帝になり、藤壺は落飾して世俗から逃避した。
アリサが、もしカトリックだったら、ジェロームの子を産んで、その子を捨てて、修道院に入って終わりだったのだろうが、世俗主義のユグノーには、アリサを受け入れてくれる修道院は存在しない。だから現実的な選択として、彼女は、ジェロームとの思い出の品をすべて焼き尽くし、貧しい人々に献身し、出家の代わりに失踪し、野垂れ死んだ。
ジェロームから逃げることは、神からも遠ざかることである。ジェロームを通してしか、アリサは神との関係に入れなかった。ジェロームがいなければ、彼女の信仰も、抜け殻になってしまう。失恋後の彼女自身が、源氏から逃げた空蝉の残した薄衣のようである。
なぜ空蝉が、源氏から逃げおおせたのか? 折口信夫は、源氏は神に近づこうとした人間だという。神に近づこうとする男を引き受けると、女は、神になろうとする彼のあやまちも、すべてその人生に引き受けなければならない。世俗の恋は、信仰へのジレンマを生み出す。
(おわり)
読書会の模様です。