ベルンハルト・シュリンク『朗読者』読書会のもよう(2018 6 8)

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2018.6.8に行ったベルンハルト・シュリンク『朗読者』読書会のもようです。

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私も書きました。

『最初は、自由になるためにぼくたちの物語を書こうと思った』

今回、再読してみて、ハンナは、最後まで、ミヒャエルを囚人のようにしか見られなかったのであり、ミヒャエルも最後まで囚人のように振る舞うことを望んでいたのではないか? そんなことを強く思った。

ユダヤ人亡命者で精神分析医エーリッヒ・フロムは『自由からの逃走』で、権威主義の発展形としてのナチズムの根底には、無力な個人のサディズムとマゾヒズムの共依存がある分析した。ナチスの蛮行=サディズムへの依存は、個人のマゾヒズム=無力感から生まれる。

ハンナの無力感は、文盲の劣等感に由来していた。

文盲を克服するまでの彼女の人間関係は、無力感をカバーするためにサドマゾ的共依存を前提とせざるを得ない。今回読んでみて、プールで、ミヒャエルを無表情で眺めるハンナは、収容所の彼女の個室で朗読させた少女を、絶滅収容所に見送る無表情と同じではないかと思った。ハンナは終生、ミヒャエルを囚人としか見られなかったのではないか。一方、ミヒャエルも、実は、朗読マシーンとしての役割のなかで、あくまでも囚人の立場に固執していたのではないか、と感じた。ハンナの手紙に返事を書けなかったことは、彼の無意識レベルの囚人根性=マゾヒズムの顕れであり、それは根本的には彼の無力感に根ざしている。

ハンナが恩赦で出所すれば、二人の関係は、サドマゾ的共依存ではなく、自由を基盤とした新たな関係の創造を強いられる。だが、この二人にとって、共依存関係を解消するのは容易なことではない。彼らは、無力感を克服するまで、自由な人間として成熟していない。

重要なことは、ミヒャエルの人生には、途方もない無力感があることだ。戦後生まれの彼も、ナチズムに収斂していくような、その無力感の深淵から逃れられない。

なぜハンナは自殺したのか? 二人が共依存から自由になる再出発を信じられず、自殺したのだ。

無力感は、共依存の温床として現在も猛威をふるいつつある。

(おわり)

読書会の模様です。

 

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  • 2018 07.11
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