2019.1.4に行った太宰治『皮膚と心』読書会のもようです。
私も書きました。
『皮膚と叡智』
知覚、感触が、どんなに鋭敏だっても、それは動物的なものなのだ、ちっとも叡智と関係ない。全く、愚鈍な白痴でしか無いのだ、とはっきり自身を知りました。
私もこの冬、両太ももの外側に発疹ができて、メンソレータムを塗っていたら、どんどん発疹の領域が拡大して股間まで到達しかけて焦った。結局、風呂上がりに顔に塗っている保湿ローションを代わりに塗ったら、一発で治った。
学生の頃教習所に通っていてペルペスでダウンしたことあることを皮切りに、ストレスによって肌に異変が起こることがよくあった。20代はずっと左の瞼にステロイドを塗っていた。心は皮膚に表れる。
如来は悟りを開いた仏だが、菩薩は仏の悟りを求め者だ。菩薩は、着飾っている。悟りを得て、着飾ることをやめるとき、如来になっていく。着飾ることが内面の表現だとすれば、悟りは、宇宙の外側にある叡智の表現だ。この差は大きい。知覚や感触は、動物的で、叡智は、仏のものだ。動物は、宇宙の外側に関わる形而上学に無縁である。
この語り手の女は、悟りを求めている。だが、プライドを捨てられない。肌の美しさがプライドなのは、菩薩の段階だ。この煮え切らない亭主を一筋に信じられれば、大宇宙の真理である「叡智」に近づけるのかもしれない。だが、吹出物くらいで、信じられなくなっていく、か弱い心のうごきが、饒舌に描かれている。
如来は袈裟をまとっているだけなのは、悟りを得て、叡智を信じているからだ。
この女房が、吹出物くらいで、簡単に鬼になってしまったり、わあわあ騒いだりするのは、生悟りだからであり、ストレス程度で、発疹が出てくのも生悟りゆえだ。
化粧品会社のデザインの仕事を「ふざけちゃいけねえ、職人仕事じゃねえか、よ」と自嘲するこの亭主は、大宇宙の叡智に関わる芸術的創作をしたくて、煮え切らない暮らしをしていたのかもしれない。その上、性病をうつされたと妻に疑われてはたまらない。しかし、疑われるだけの、亭主の生悟りも、やっぱり吹出物の原因のひとつなのか。そうだろう。似た者夫婦なのだ。
(おわり)
読書会の模様です。