ドストエフスキー『悪霊 上下巻』読書会のもよう(2018 12 28)

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2018.12.28に行ったドストエフスキー『悪霊 上下巻』読書会のもようです。

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私も書きました。

『偽イエスとマグダラのマリヤ・レビァートキナ』

 

 「私には見える……現のように見える」チホンは魂を刺しつらぬくような声で叫んだ。その顔には、このうえもなくはげしい悲しみの表情が浮かんでいた。「いまだかつてあなたは、哀れな、破滅した若者よ、新しい、さらにさらに強烈な犯罪に、いまこの瞬間ほど近くたっておられたことはありませぬぞ!」 下巻P.712

 

このチホンの台詞を読んだとき『罪と罰』下巻のP.376での、ポルフィーリーの《さて、この男ただではすまさんぞ》を思い出した。ラスコーリニコフの論文を読んだあとの一言だ。

チホンは、『スタヴローギンより』というパンフレットを読んで、この男を許さないと思ったに違いない。あの告白自体がチホンや善良な人々を釣る目的で書かれた檄文だからだ。自分が屈辱的で卑劣で滑稽な立場に立たされ、怒りが我慢の限界を超えると、快感をおぼえるという性癖の持ち主であるスタヴローギンは、罪を告白しながら、社会をさらに混乱に陥れるというたぐいの無意識のマニュピレーションを行っている。

子供が泣きわめきながら、みっともない姿をさらして、周囲に迷惑をかけながら、その実、ひそかに興奮しているようなものだ。

これを大人が意図的にやると、とんでもない効果を発揮する。許容範囲を超える醜態というのは、人を強烈に引きつける。十字架にかかったイエスというのは、許容範囲を超えた醜態だ。マリア・レヴャートキナと結婚したのも、イエスがマグダラのマリアと結婚していたのではないかというキリスト教界隈でも問題になる許容範囲を超えたスキャンダルをほのめかしている。

ロシア人の無意識の奥底にあるロシア正教的なものに揺さぶりをかけながら、無神論的革命思想を植え付けていくためには、スタヴローギンは最適な人物だ。彼は、要するに、偽イエスである。

それを最初に見抜いたのは、マリアだった。

「あの人じゃない、あの人じゃないと思ったのさ」上巻P.532

墓場で復活したイエスが偽物だと気づいたマグダラのマリヤ・レビァートキナの悲痛な叫びである。

(おわり)

読書会の模様です。

 

  • 2019 05.07
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