フランツ・カフカ『断食芸人』読書会のもよう(2018 12 14)

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2018.12.14に行ったフランツ・カフカ『断食芸人』読書会のもようです。

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私も書きました。

『悪魔の試み』

 

兼好は、こういう事を言っている。死は向こうからこちらにやって来るものと皆思っているが、そうではない。実は背後からやって来る。沖の干潟にいつ潮が満ちるかと皆ながめているが、実は磯の方から満ちるものだ。

小林秀雄『考えるヒント 青年と老年』文春文庫P.212

 

断食興行が四十日で終わりを迎えるのは、四十日四十夜断食の後にイエス・キリストが空腹を覚えて『悪魔の試み』にあったという新約聖書の記述(マタイ福音書第四章)を下敷きにしているからだ。興行師は、潮時をわきまえていた。断食芸は、「悪魔の試み」のパロディだった。

時代の潮流は、マスメディアの発達と娯楽の多様化によって急激に変化し、聖書を背景とした物語は、もはや誰にも感銘を与えなくなった。

『断食の幕を早くおろしすぎた結果である姿が、その原因を演じさせられているのだ。この無分別の、無分別なこの世に対抗して戦うのは、不可能だった』P.120

信仰の基盤は、すでに掘り崩された。磯から満ちてきたのは世間の無分別であり、断食芸人の背後から迫ったのは、究極的には「神の死」だ。皮肉にも、断食芸人の物理的な死は、神の死の後にやってきた。

現代の断食芸人が葬られたあとに、檻に鎮座ましますのは きっと、カツ丼6キロ、あるいは、寿司100貫を屈託のない笑顔で完食する、若くてそこそこかわいい女性YouTuberである。そして、彼女たちの驚異的な食欲と、一抹のさみしさの影差す笑顔の背後に、満ちてくるのは一体何か?

「大食いは食べ物を粗末にしている」という批判云々も、的を射ているのだが、ネットは摂食障害を消費するという売笑行為に、みんなが無分別である。絶望を意識しない絶望である。もしかすると、カメラを止めてから反省して、もっと楽しそうに大食いできるのに、と彼女らは吐きダコをこしらえながら、大食い芸を磨いているかもしれない。あるいは、努力もしてないかもしれない。いずれにせよ、現代において、食べ物以上に粗末になっているのは、無分別によって麻痺していくお互いの関係である。

ゆるやかに満ちてくる気配がする。磯から。背後から。

「これが人間か」と嘆息するような、粗末で無自覚で絶望的なしょーもなさから。

(おわり)

読書会の模様です。

 

  • 2019 05.07
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