2018.11.2に行った朝井リョウ『桐島、部活やめるってよ』読書会のもようです。
私も書きました。
《アメリカ、覇権国やめるってよ》
戦後の国際秩序をリードしてきたアメリカ合衆国が、明確に覇権国であることをやめようとしている。トランプ大統領は「アメリカ・ファースト」というスローガンを掲げ、国内産業の保護や貿易摩擦の解消を優先して、外交に関しては、同盟諸国の神経を逆なでることもいとわない。アメリカという国が、目下、自国を定義し直している。
絶対的エース桐島が部活を辞めたせいで、彼の存在を中心に回っていた人間関係に動揺が走り、みながお互いにささやかなマウンティングや毛づくろいのようなコミュニケーションによって自分のポジションを確認して、その日をごまかして生き抜いているだけだという事実が、急に露呈し始めた。
民主化・人権尊重・自由主義市場経済というグローバリズムの三代囃子で世界を牽引してきたアメリカという覇権国を欠いて、冷戦後の一極集中体制が、19世紀さながらの多国間の勢力均衡にシフトしはじめた。世界各国が内向きになり、国内の右傾化、排外主義化と向かわざるを得ない現象とパラレルである。
(引用はじめ)
うらやましい、と思う。思ったとおりそのままに生きているなんて、うらやましい。梨紗や沙奈も、いつも大きな声でわあわあ話していて、単純に生きているように見えるけど、女子はそんなことしていない。絶対に。
(引用終わり)
動物行動学者のコンラッド・ローレンツは、『ソロモンの指環』においてコクマルガラスのメスが、デスポット(カラスの群れでいう桐島)とパートナーになることで、一気に序列(スクールカースト)が上昇する現象を書いている。彼氏のポジションに依存する梨紗や沙奈が演じる骨肉の争いは、コクマルカラスの群れのそれに似ている。群れ社会は、近代の市民社会で自己を確立するという段階からほど遠くて、つねに意識的欺瞞と緊張を強いられるため、弱肉強食の過酷さがつきまとう。
自己を確立した近代的人格のモデルとして、なんとなく周囲に期待されてきた桐島くんがフェードアウトして、その周辺キャラは、ポジショニングを定義し直さなければならない。
だが、真に自分を定義し直す者は、自分の言葉を持たなければならないのだ。じゃないと、明治の精神やら国体護持やら、愛国心やらの超国家主義によって自分を定義することになるのが、日本人の宿命だ! ストレイシープ!
(おわり)
読書会の模様です。