
2018.4.20に行った、トルストイ『ろうそく』読書会です。
私も書きました。
「智慧の完成形」
『人はなんで生きるか?』では、落ちてきた天使、ミハエルが、長靴を注文しにきたお金持ちの大男見て、《一年先のことまで用意しているが、この夕方までも生きていられないことは知らないのだ》と気づいた。そして、神の『人間に与えられていないものは何か?』という質問の答えに思い至った。
『ろうそく』の荘園管理人の名前は、ミハエル・セミョーヌイチ。まるで、ミハエルが、天国に帰れず、セミョーンの家で養子になったような名前だ。
人間には、自分の肉体のためになくてはならないものを知ることが、与えられていないのです。
Не дано людям знать , чего им для своего тела нужно.
『人はなんで生きるか?』岩波文庫 P.50
「ろうそく」とはなにか? これもやはり、人間の肉体になくてはならないだが、知ることが与えられていないものだ。
管理人は、元天使だ。人がなんで生きるかを悟らずに、そのまま人間になってしまった。
その彼が、人間の知恵の及ばないものに、ようやく気がついたのである。
長靴を注文した大男は、「ろうそく」に気づかなかったので、あっけなく、死んでしまった。管理人は、会得したものがあったので、罪の重さを自覚し、ふさぎ込んで死んでいった。
本来なら、この管理人は、天使として、天井を突き破る火柱とともに、神のもとに帰るはずだが、もう、手遅れだった。すでに、彼は、天使ではなく、どこまでも人間だったから、どこまでも普通の人間として死んだのである。
人間に与えられていないものは、智慧の完成形だ。それは実体ではない。般若心経の『般若波羅蜜多』とは、人間に与えられていない智慧の完成形を、表しているそうだ。
「ろうそく」に何も灯らなければ、この世は無明である。
餓鬼道であり、畜生道である。
人が人を傷つけ、殺し合い、共食いする苦の娑婆だ。
娑婆とは別の次元には、智慧の完成形としてのろうそくの灯りがある。信じなければ見えない。
実体のないものを信じるのが、智慧の実践段階である。
(おわり)
読書会の模様です。