
2018.4.13に行った夏目漱石『道草』読書会のもようです。
私も書きました。
「義理と人情」
ルース・ベネディクトの『菊と刀』の第七章に日本人の義理に関する分析が描かれている。日本文化の「義理」は道徳規律とは関係がなく、アメリカ人にとっての借金の返済のようなものだとある。
健三は、養父島田から、生家に復籍したとしても、不実不人情なことはしない、という意味のことを書いてある文書を、100円で買い取り、島田から受け取った一歳の義理を返した。
まさしく、ベネディクトのいうように、借金の返済と同じである。義理と人情をお金に換算して精算したのである。
大正時代は、現在のように社会保障のない時代だから、年老いて身よりもなく、収入のなければ、義理と人情をお金に換えて生き延びざるをえない。
財政難の現代日本も社会保障費を削減するために、今後、人間関係がどんどん世知辛くなるだろう。そうすれば、親戚縁者の義理と人情と金の問題が、漱石の描いた大正時代と変わらないようになっていくだろう。
宗族で資産を共同管理する中国と違って、家制度の日本では養子をとって資産を管理していくとベネディクトは解説している。
近代知識人である健三も、前近代的な養子制度、家制度に抗うことは出来ない。その制度のうえに義理と人情という日本人特有の感情が生まれてくるのである。
こう書いてしまうと、あまりにも唯物論的と言うか、下部構造(経済)が上部構造(精神)の問題を規定するというマルクスのテーゼに近くなってしまうが、『道草』は、義理も人情も、結局は金も問題になっていくというシビアな情景を、うんざりするくらいリアルに描いている。
フランスの自然主義の代表的作家、ゾラやモーパッサンの作品では、金が人間関係の基盤になっている近代社会の残酷さが容赦なく展開されていて、読んでいて、救いがない。この作品を書くまで漱石は余裕派などと言われ、フランスの自然主義を御本尊とする一派からは、けなされていたのだが、「俺もこういうのが書けるんだ」という、漱石の矜持を感じさせる。
(おわり)
読書会の模様です。