樋口一葉『たけくらべ』読書会のもよう(2017 12 15)

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2017.12 .5に行った樋口一葉『たけくらべ』読書会のもようです。

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私も書きました。

 「紅入りの友仙の切れ端

『たけくらべ』の子どもたちは、この街で家業をつぎ、労働力を商品として再生産する賃労働者として成長する。廓を中心に資本が回転し、表町と横町の生活が維持されて、彼らは、無邪気な子どもの世界から没落していく。

『意志とは没落する現象の核心である』とショウペンハウエルはいう

登楼し、自らの肉体を商品として売り出した美登利は、『此處しばらくの怪しの現象(さま)に我れを我れとも思はれず』それは、花魁としての没落の始まりであり、彼女の意志の終わりの始まりである。

社会的生産関係に足を取られるように、信如は、泥に足を取られ、鼻緒を切った。雨に濡れ苦悶する信如を心配し、美登利は、寮の格子から、紅入れ友仙の切れ端を投げてよこす。そのあざやかな切れ端を、あくまでも無視し、泥の中に打ち捨てて、去っていく信如。

世俗の泥に汚れていく紅入りの友仙の切れ端。それは、美登利の没落を象徴していた。

副業で儲けながらも経を読む父の俗物ぶりが信如には心苦しかった。美登利は、また、そんな生臭坊主の子に世話になる気はさらさらになかった。

しかし、物言えぬよう運命づけられた二人の世俗での淡い恋愛感情の背後に広がる世界がある。もし仮に美登利の人生が、はかなく潰え、信如が彼女のために回向することがあれば、打ち捨てられたあの時の紅入りの友仙の切れ端を拾い上げなかった信如は、亡くなった美登利の何を拾い上げる役回りなのだろうか?

たけくらべしていたあの頃は遠く、みんな抗いがたい資本の自己増殖の運動に巻き込まれて、子供時代から没落していく。

大人になることは、現象として没落することだ。

美登利の目の前に、一輪ざしに差され、淋しくも清い姿をたたえている造花の水仙は、紅入りの友仙の切れ端のように汚れ、没落していく美登利への、信如によるせめてもの回向だった。

美登利が、もうかつての彼女に戻らないように、信如もまた、この世俗に、永久の別れの覚悟を決めたとすれば、彼は、独りで仏門を敲いて、開けた。

なぜなら、没落しながら鬼火のようにゆらめく現象の背後でも、意志の核心は、不滅であるからだ。

(おわり)

読書会の模様です。

 

  • 2018 01.25
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