
2017.12.8に行ったスタンダール『赤と黒』読書会のもようです。
私も書きました。
「恋愛レボリューション21」
実のところ、この二人がひたった恍惚境には多少意識的なところがあった。情熱的な恋も現実というよりむしろあるモデルの模倣であった。 『赤と黒』下 岩波文庫 P189
ナポレオンは、コルシカ島の出身であった。彼は、ジョゼフィーヌと恋に落ちるまで、コルシカ人としての矜持があったそうだ。だから、コルシカの独立運動に失敗して、島民に排斥され、一家ともどもフランスに移住してからも、頑なに「ナポリオーネ・ブオナパルテ」とイタリア式に名乗っていた。しかし、ジョゼフィーヌとの恋愛が彼を、フランス人に変身させた。
ナポレオンは、アルプスを越えて、イタリアを遠征し、地中海を渡り、ピラミッドを目指した。 ジュリアン・ソレルも、ナポレオンを手本にして、勇気を奮って、ふたりの女性の寝室へとはしごを掛けた。大遠征である。レナール夫人やマチルドとの恋愛によって、彼は、ナポレオンの変身を再現したといえる。
革命の時代は情熱の時代だった。しかし、この作品の描かれた時代には、もう革命は終わっていた。
現代を象徴しているのは、ませた子どもたちであるようだ。ほんとうに、たった一度だけでも、なにか途方もない愚行をやらかすような人間が、まだ一人でもいるものだろうか?
キルケゴール『現代の批判』 岩波文庫 P24
生活する人間にとっては、スタンダールの文章など、読めないのが当然だと私は思う。学究とか隠者とか、生活から距てられた骨董的老人が、愛読し、そして現代をのゝしるヨスガとする性質の、それも亦骨董品の一つではないかと私は考えているのである。
ませたガキの、てんやわんやの大騒ぎがあるだけで、ほんとうの情熱など、この作品のどこにもありはしない。
読んでいる私にも、もはや情熱などない。情熱の死んだ現代。モノマネの時代。
骨董品みたいに干からびつつあり、現代を罵しる傾向のある私は、この作品が好きだ。
(おわり)
読書会の模様です。