ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』の読書会のもよう

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2016.9.16にツイキャスでベルンハルト・シュリンクの『朗読者』の

読書会を行いました。

感想文を皆さんから募集して、私も書きました。

『感覚麻痺のこの世で』

ミヒャエルは、かつての愛人ハンナを見つめていた。

彼は傍聴人であり、彼女は被告人だった。

ぼくは、まるで彼女を愛し求めたのは自分ではなく、ぼくのよく知っている誰かだった、という気持ちでハンナを見つめることができたが、麻酔の作用はそれだけにとどまらなかった。他のあらゆることに関しても、ぼくは自分の傍らに立って、もう一人の自分を眺めていた。P118

なぜ、ハンナは40すぎたミヒャエルを「坊や」と呼ぶのか?

 

彼女にとっては、少年だったミヒャエルは、

収容所の自室に呼んだ囚人のユダヤ人少女と同様の存在だった。

ミヒャエルにも朗読させた。自分の目的のために。

 

ハンナは、どこか、彼を尊厳ある人間としては見ていなかった。

なぜなら、ハンナは誰にも理解されなかったし、文盲であることを隠してもいた。

だから、また、彼女は誰からも理解されようと望んでいなかった。

誰からも理解されないことが彼女にとっての「自由」だった。

人間の尊厳は二の次だった。そもそもハンナは、彼女自身の尊厳を排除していた。

 

だから、ミヒャエルの尊厳を軽視して、いつまでも「坊や」扱いした。

 

しかし、ミヒャエルは、ハンナが文盲であることを隠して服役を選んだ事に気づいた。

彼は、ハンナの中に救うべき個人の尊厳を見つけ出した。

それは、15歳の未熟な彼が、愛するハンナのために救ってやれなかった尊厳だった。

その尊厳を救ってやれなければ、ミヒャエルも彼自身の個人の尊厳から排除されつづけ

感覚麻痺の中で生きるはめになる。

 

ミヒャエルが朗読テープを送り、彼女が文盲を克服するという物語は、

彼らが感覚麻痺から恢復してお互いの自由や尊厳を救い出すのに必要だった。

 

しかし、その物語は、彼女の自死という結末を招いてしまった。

自死によってハンナは、この世での「尊厳」を手放し、

自死によってハンナは、あの世で死者と同じ立場になる「自由」を手に入れた。

 

感覚麻痺のこの世で、いったい誰が、誰から人間の尊厳を救ってくれるのだろう?

(おわり)

読書会のもようです。

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