チョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』読書会のもよう(2019 2 15)

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2019.2.15に行ったチョ・セヒ『こびとが打ち上げた小さなボール』読書会のもようです。

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私も書きました。

『主人と奴隷の弁証法』

財閥企業と政府の癒着する権威主義的国家のなかで、生き抜こうとする被差別者たちの物語だった。こびとの子どもたちは、財閥企業の労働者となり、酷使される。彼らは、最低限の生活を維持するためだけの賃金しか得られない。労働運動は『産業平和』という特殊な造語で、巧妙に無力化されている。

『主人と奴隷の弁証法』という哲学概念をヘーゲルが説いている。

人間が自由で自立的な存在であるためには,他者からの承認が必要である。そこで人々の間で相互承認を求める闘争が生じ,必然的に勝者=主人と敗者=奴隷が生み出され,その結果,奴隷は労働し,主人は享受する。だが奴隷は労働を通して自然を知り,自己を形成することができるが,主人は消費に没頭するだけで労働による自己形成ができない。主人の生活は奴隷に依存するばかりか,奴隷が自由と自立を獲得していくのに対して,主人はそれを喪失していくだけである。そうなると,みずからの意識においては自立していると思っている主人は客観的には自立を喪失しているのであり,逆に奴隷は自立していないという意識のもとで,真理においては自立的なのである。この真理が明らかになるとき,主人と奴隷の立場は入替る。(ブリタニカ百科事典  『主人と奴隷の弁証法』)

何世代もの政治闘争を通じて、自由と自立を求める被支配者=奴隷は、永遠の奴隷であるという錯覚から解き放たれ、近代社会とその基盤である近代的個人は発展してきた。

社会的動物が、支配と被支配に分かれるのは自然の法則だ。しかし、政治闘争の歴史を学べば、支配階級が固定して、支配を正当化し永続化するのは不可能だとわかる。ヨンス・ヨンホ・ヨンヒのこびとの三兄弟による権威主義との政治闘争の物語は、東アジアにおける自由と自立のための一里塚である。

『メビウスの帯』『クラインのびん』は『主人と奴隷の弁証法』のことだ。裏と表、中と外がつながっているように、支配と被支配もつながっている。『世界に、閉じ込められていると思うこと自体が、錯覚だ。(P271)』

社会の閉塞感を打破するために、闘うべき場所は、今、自分のいる場所だ。

そして『無知』こそが、人類の真の敵だ。個人の自立は、無知の克服と自由の希求という精神運動である。

中国が台頭し、アメリカの覇権が衰退する現在、狭間にある東アジアの個人の自立と自由が、まさに問われている。

(おわり)

読書会のもようです。

 

  • 2019 05.09
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