2018.11.30におこなった
村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』読書会のもようです。
私も書きました。
『祝福される人生』
今国会で成立する入管法の改正よって34万人以上の外国人特別技能実習生を受け入れるという。少子高齢化による人手不足が深刻化しているからというのが理由だ。日本に来るときから前借り金で借金を背負い、日本に来てからも民間の斡旋会社から中間搾取されるとしたら、彼らの手取りは雀の涙であろう。すでに、時給200円以下で働かされているケースもあるという。
一角獣の頭蓋骨。人間の自我の重みを吸い取るために生きて、焼かれ、頭蓋骨だけが、図書館に保管される。「世界の終わり」という街に移住するものは、門番に影を預け、一角獣の頭蓋骨から古い夢を読み取る業務に従事する。
私たちの住む街。国家のインフラや企業の資本、個人資産は、経済の法則にしたがって、蓄積されたものだ。完全な共同体の基盤を支える富は、(当初は、質素倹約のおかげもあるだろうが)、近代の途上においては、激しい国際競争や収奪(帝国主義や搾取)によって急激に膨張したのである。急激な膨張の過程で、一角獣のように誰かが、街の維持のために、犠牲になっているとしたら、良心はいたたまれない。しかし、今の社会は、誰かの犠牲の上になりたっている。時給200円の外国人特別技能実習生が、私たちの住む街を支える時代に入っているのは、確かだ。彼らはそれに見合う技能を身につけて母国に帰るのだろうか、それとも……。
森は街とは何から何までちがうんだ。生きのびるための労働は厳しいし、冬は長くつらい。一度森に入れば二度とそこを出ることはできない。永遠に君はその森の中にいなくてはならないんだよ (世界の終わり 40章)
『世界の終わり』という街で心を失ったまま生きるよりも、森の中で心を保ったまま孤独な厳しい人生を送ることを、最後に主人公は選んだ。現実的な決断だ。時給200円で支えられる街に住んでいれば、やましさで心が麻痺する。一方、自立自存で森に住むことを選択するのは、そんな世界に感じる心の痛みを引き受けてのことだ。この作品は、逃げ場のない法則に支配されながらも、自分で選択した人生を祝福する強さを描いている。
(おわり)
読書会の模様です。