2018.6.29に行った大江健三郎『万延元年のフットボール』読書会のもようです。
私も書きました。
『共依存と暴力を克服するための闘争』
念仏踊りは、愛媛出身の一遍上人があみだした。南無阿弥陀仏を唱えて踊れば、救われるというのが時宗である。無力感から救われるために、念仏を唱えながら踊ったのである。
敗戦国として再出発した戦後の日本は、日米安全保障条約というくびきの中にいる。敗戦は日本の政治体制を民主的にした。しかし60年の安保の改正においては多くの民衆が、時の政府の強権的なやり方に反発して、安保闘争という名の政治運動に加担した。蜜三郎の自殺した友人も鷹四も、安保闘争で傷を負った。
友人は、頭の傷によって引き起こされた薬物依存とマゾヒズムに囚われ自死した。鷹四は、サディズムに囚われ、谷間の村で民衆を煽って、反資本主義運動のようなものを展開する。
サディズムとマゾヒズムは共依存の関係にある。覇権国アメリカと、敗戦によって従属的地位に置かれる日本も、サド・マゾ的共依存にある。資本の価値の自己増殖と、自らも労働力を商品として売る消費者=賃労働者も共依存関係だ。現代の社会関係は、多かれ少なかれ共依存を前提としている。共依存は、人間からあらゆる自由を奪い、無力感を与える。蜜の無関心と逃避癖、菜採子のアルコール依存、ジンの過食も共依存が原因だ。
鷹四は、サディズムによってリーダーとなったが、心の奥底は、マゾヒズムに支配されている。サディズムによって妹を自死に追いやった罪悪感が、彼を自己処罰というマゾヒズムにかりたてる。罪悪感にとらわれるほど政治運動における自己欺瞞が激しくなり、彼は支配の手段としての暴力を正当化する。暴力は、集団的な熱狂を生むが、同時に、恥の意識を植え付け、ますます群衆を自己正当化への暴力へ駆り立てる。
曽祖父の弟が、土佐藩の人間に導かれて、アメリカに渡ったのではなく、実は、蔵屋敷の地下倉に引きこもって非転向を貫いていたというのは、衝撃的な結末だった。彼は、明治四年に一度だけ地上に出て、一揆を指導し、民主的勝利を勝ち取った。
人は銘々の地下倉で、自分のかかえる欺瞞に向き合い、それを克服しなければならない。共依存から逃れ、無力感と恥を克服し、自由になるためにも。
曽祖父の弟は、地下倉の中で、無力感を克服し、政治的挫折を乗り越えたのだ。
(おわり)
読書会の模様です。