
2018.8.3に行ったプリーモ・レーヴィ
『アウシュヴィッツは終わらない これが人間か』読書会のもようです。
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私も書きました。
『ムーミン谷の収容所』
『ムーミン谷の仲間たち』所収の短編に『春のしらべ』というのがある。
放浪者スナフキンが、彼を崇拝する「はい虫」という名前のない生物に名前をつけるという話だ。スナフキンは作詞作曲に集中したいので、孤独に旅しているのだが、旅路で出会った名もない「はい虫」に孤独を邪魔されて、少々機嫌を損ねるのである。
顔のない彼らが私の記憶に満ちあふれている。もし現代の悪をすべて一つのイメージに押しこめるとしたら、私はなじみ深いこの姿を選ぶだろう。頭を垂れ、肩をすぼめ、顔にも目にも思考の影さえ読み取れない、やせこけた男。 P.113
スナフキンは、春の息吹を作曲しようして直観を高めていた。だから、名もない「はい虫」の相手をしている暇はなかった。しかし、きまぐれに「はい虫」に「ティーティ=ウー」と名前をつけてやった。すると、驚くべき変化を目の当たりにする。名前を持って自信をつけたティーティ=ウーが、驚くべき生命力と希望とをもって生きはじめたのだ。
スナフキンは、逆に、霊感を受け、春のしらべの最後のフレーズを書き上げることができた。生命力の相乗効果だ。
ナチスの脅威は、人間を奴隷にするだけでなく、資本主義体制の永久機関として、ユダヤ人や社会的弱者から名前を剥奪し、その存在を究極の「労働力としての商品」の位置まで貶め、工場としての強制収容所で徹底加工し続けるシステムを考え出したことにある。
そして、その結果、蓄積していく資本の上に、アーリア人の貴族制を確立してヨーロッパ一帯を支配しようとした
アウシュヴィッツの強制収容所の入り口には、『労働は自由をもたらす』というスローガンがかかっている
労働は、支配層を自由にするという皮肉なのだろうか。
名前を持たない「はい虫」が、収容所で奴隷労働に従事し、最後は一握りの灰になる一方、ナチスに協力し、「はい虫」の隠れ家をSSに密告するようなスナフキンがムーミンと自由を謳歌するムーミン谷があったら、その悪は、やりきれない。
(おわり)