村上春樹 『騎士団長殺し』読書会のもよう(2017.2.24~26)

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2017.2.24~26の3日間に渡って

村上春樹さんの『騎士団長殺し』のツイキャス読書会を行いました。

ツイキャス読書会についてはこちらをクリック

イントロダクション

『第一部 顕れるイデア編』のあらすじと感想を書きました。

(以下ネタバレです。)

『騎士団長殺し第1部 顕れるイデア編』 あらすじ

主人公の『私』は、36歳既婚。美大時代は、抽象画を専門だったが、生計を立てるため肖像画を描くようになった。彼の妻、ユズは、15歳のときに亡くした妹を思い出させたので惹かれた。デートに誘い、クロッキーを描いてあげるとユズは喜んだ。ユズは当時、付き合っていた彼氏とも別れ、親の反対を押し切り、『私』と結婚した。しかし、6年間でふたりの夫婦生活は破綻し始める。妻のユズは、社交的であるが、私は、孤独を好む。そのため妻の補助的役割になりがちだった。彼女が見たある夢をきっかけに、一緒に暮らせないことを告げられ、さらに彼女が浮気していたことも判明する。しかし、彼女は離婚しても「友だちでいてほしい」という。私は、自暴自棄になって、仕事を投げ出し、日本海側を北上し、北海道まで旅に出る。その度の途中で、見知らぬ女と出会い行きずりの関係を持つ。しかし、彼女の後をつけていると思しい中年男(白いスバルフォレスター男)に、睨まれ、その怒りに満ちた顔が、強迫観念となって記憶に残る。旅から戻ると、妻を残して自宅のマンションをでて、美大時代の同級生の所有する小田原の一軒家に引っ越す。そこは、高名な日本画家、雨田具彦のアトリエ兼自宅であったが、彼が、高齢者介護施設に入ったあとは空き家になっていた。私は、モラトリアムの時間を、自分自身のために絵を描くことで過ごそうとするが、描くべきテーマがなかった。そこへ、ちょうど肖像画の依頼があり、免色渉という大金持ちの実業家と面談することになる。彼は、谷間を隔てた大邸宅に住んでいた。彼と親しくなり、交友を深めながら制作にはげむ。屋根裏部屋に物音がするので、観察するとみみずくが棲みついてた。ついでに、『騎士団長殺し』という不思議な絵を発見する。『ドン・ジョバンニ』をモチーフにした日本画だった。雨田具彦のウィーン留学時代の謎が隠された日本画だった。深夜、鈴の音が庭から聞こえてきて、それ以外の物音がすべて消えるという怪奇現象が起こる。音源をたどると庭に祠を見つけた。その話に興味をもった免色は重機を入れて、祠を掘り返す。すると、下に深さ三メートルの石室が発見される。鈴は、その中にあった。免色はその石室に異常な興味を示す。免色にもう一枚、描いてほしいと依頼される。モデルは、彼の子どもかもしれない秋川まりえという少女であった。その少女は私の教えている絵画教室の生徒だった。

(おわり)

私の書いた感想です。

『白いスバル・フォレスター男』

でもな、誰がなんと言おうと、わたしが描きたいのはドイツ人たちの家族なんかじゃない。わたしは〈隔離病棟〉に積み上げられた子供たちを、白黒の絵にしたいんだ。やつらが殺戮した人々の肖像画を描き、それを自宅に持って帰らせ、飾らせたいんだよ。ちくしょうどもめ!(『騎士団長殺し』第1部 第32章)

愛というのは、他人の中にある目に見えない可能性を信じることであり、かつ、目に見えないものを信じる勇気をもつことだ。と、エーリッヒ・フロムは『愛するということ』と哲学書の中で述べている。彼もナチスから逃れ米国に渡った。家族には愛情深いナチスの絶滅収容所の看守が、同時に、他民族の子どもを大量虐殺するということがなぜ起こるか?

 

免色は、『彼は誰かを愛することを恐れたのではない。むしろ誰かを憎むことを恐れたのだ』と主人公は思った。秋川まりえが自分の娘かどうか、確認しないのは、彼女を一つの可能性のなかに投げ込んだ割に、信じることも、信じる勇気も放棄している、そんな無責任な態度に思われた。

 

あいまいな態度を取り続けながら、一方で彼女に執着し、双眼鏡で監視し続けるというのは、バランスを欠いた行為である。

 

自分の家族と、虐殺される子どもとを同じ可能性のうえに置くバランス感覚があれば、一方で大量虐殺に加担しながら、家庭ではよき父であることなどありえない。

 

上記引用のワルシャワの肖像画家を怒らせたのは、不気味なまでの無感覚である。

 

『おまえがどこでなにをしていたかはおれにはちゃんとわかっているぞ』という白いスバル・フォレスター男の怒りの声は、人間の無感覚を告発する良心の呼び声である。

 

私は、免色という人物が不気味だった。着実に一歩一歩計画を成し遂げ、異常なまでに忍耐力を鍛え上げ、孤独の苦しみを制圧して生きている彼は、どこか狂っていると思われた。それは、絶滅収容所の看守が制圧してきたものにどこか似ている。でも、本人に自覚がないようだ。だから余計に不気味だった。

(おわり)

メルマガ読者さんから頂いた感想文です。

村上春樹『騎士団長殺し第1部 顕れるイデア編』

読書会のもようです。

『第2部 遷ろうメタファー編』のあらすじと感想です。

『騎士団長殺し 第2部 遷ろうメタファー編』あらすじ

免色の娘かもしれない秋川まりえの肖像画を制作しながら、免色との交流をさらに深める私は、雨田具彦が留学先のウィーンで巻き込まれた事件と、彼の弟である継彦が徴兵され、除隊した後に、自殺したという事実を知る。どちらも戦争に関わる事情が背景にあった。ある夜、アトリエに雨田具彦の生き霊があらわれる。そして、秋川まりえが行方不明になる。(彼女は免色の家に、4日間隠れていた)私は、息子の雨田政彦に生き霊のことを話す。また、政彦から、ユズの交際相手の話を打ち明けられる。政彦の同僚が、ユズの浮気相手だということがわかる。彼女は、妊娠7ヶ月であったが、7ヶ月遡ると、旅先の夢の中で、私がユズを無理矢理に犯した日だった。その体験は、免色が秋川まりえの母が、彼の子供を欲して、無理やり性交渉を迫った出来事と、奇妙な対を成していた。論理的には、ユズの妊娠している子は自分の子供ではないが、『私』は自分の子だと信じる決意をする。謎をとくために雨田政彦ととともに、高齢者介護施設で、痴呆状態となってベッドに横たわる雨田を訪ねる。政彦が席を外すと、騎士団長が顕れる。彼は雨田具彦がウィーンで体験したナチスの精神的拷問を語り、世界の流れに抗うことのできない個人の無力感・絶望感が、『騎士団長殺し』を描かせたと語る。そして、騎士団長は、彼の人生の終わりにあたって、もう一度『騎士団長殺し』を再演するように、私に命じる。私は、雨田具彦の前で、騎士団長を刺殺し、彼はベッドの上でそれを直視する。そして、絵のとおりに、部屋の片隅に現れた「顔なが」を生け捕りしに、顔ながの隠れていた地下のメタファーの世界に秋川まりえを探しに行く。やがて川があらわれ、顔のない男がいた。秋川まりえの携帯ストラップを、彼に渡し、船でメタファーの世界の川を渡った。森を抜け洞窟にたどりつくと、ドンナ・アンナがいた。自分の中にありながら自分の正しい思いを貪り食う「二重メタファー」は、白いスバル・フォレスター男だと悟る。(それは、まあ、これを描いている私の意見だが、要するに、自己欺瞞(いいわけや自己正当化)のことだと思われる。)自己欺瞞をやめるために、ドント・アンナは『手で触れられるものを、すぐに絵に描けるようなもの』を思い出すようにアドバイスする。メタファーに締付けられながら、「光は影であり、影は光なのだ」という認識を得ると、雨田具彦の庭の石室の中にいることに気がついた。彼は、免色によって、石室から救出される。秋川まりえに再会すると、彼女も、忍び込んだ免色の家で、騎士団長にあったことがあるという。彼の母の洋服のしまってあるクローゼットであった。そこで、誰か(免色?)に見つかりそうになり、母の衣服に護られたという。『騎士団長殺し』は雨田具彦の鎮魂の絵であったことを、彼女に言い聴かせ、『白いスバルフォレスター男』の絵とともに屋根裏にしまった。雨田具彦は死に、私はユズが離婚の意志がないのを確認して、再び、ともに生活することになる。やがて生まれた娘に『室』という名前をつける。雨田具彦の家は火事で全焼する。

(おわり)

私の感想です。

『二重メタファー』

人間は自由意志で生きているのではなく、何かに生かされているのだ。そういうテーマの小説だと思った。欧米の小説だと、キリスト教が主題になるが、村上春樹は、キリスト教なしで、キリスト教的なテーマを描く。イデアは、頭の中の世界、メタファーは、現実と頭の中の世界を繋ぐものという言う意味だろう。邪悪なものとして『二重メタファー』というのが出てくるが、これはジョージ・オーウェルの『1984年』の『二重思考(ダブルシンク)』に似た概念だ。あの小説では『戦争は平和なり。自由は隷従なり。無知は力なり』というスローガンで表現されていたが、『騎士団投長殺し』では。『白いスバル・フォレスター男』として『二重メタファー』は、表現されている。良心のとがめるようなことを人間が、誰かに見られているのではないかと、意識するその視点は、キリスト教で言えば、神の視点なのだが、神っていう概念出すと、一神教ではない日本では、なかなか受け入れられない。『おまえがどこでなにをしていたかはおれにはちゃんとわかっているぞ』という意識を、地震という自然現象によって体験させなければ、因果を理解できない。地震は、人間の自己欺瞞を暴露する力を持っている。人間は、自然に生かされている。その認識が、薄れていくと、『目に見えるもの、手で触れるもの』をどんどん粗末し扱ってしまう。それが、すすむと、人間は自己欺瞞に深く陥って、邪悪になる。大量虐殺を正当化するまでの自己欺瞞というのは、『二重メタファー』のなせる業である。『安全保障』とう言葉は、「戦争は平和なり」という二重メタファーである。『反テロのための治安強化』は、自由が隷従であることを意味している。『本を読まないのを恥じない』とは、無知の力のことである。現実社会は、『二重メタファー』という自己欺瞞で、汚れきっている。『騎士団長殺し』は、邪悪な『二重メタファー』の犠牲になった人間を鎮魂した絵であった。

(おわり)

メルマガ読者さんから頂いた感想文です。

村上春樹『騎士団長殺し第2部 遷ろうメタファー編』

読書会のもようです。

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