芥川龍之介『トロッコ』読書会のもよう(2019 2 5)

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2019.2.5に行った芥川龍之介『トロッコ』読書会のもようです。

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私も書きました。

「人間の軽便化・近代化」

リュミエール兄弟による1895年公開の無声映画『ラ・シオタ駅への列車の到着』には、蒸気機関車が駅に到着する情景が映されている。当時の観客は、実物大の列車が近づいてくる映像の存在感に圧倒され、驚愕して、劇場の後方に逃げだしたらしい。私たちは「ほんまかいな」と思う。

 

 父母は勿論その人たちは、口口に彼の泣く訣を尋ねた。しかし彼は何と云われても泣き立てるより外に仕方がなかった。あの遠い路を駈け通して来た、今までの心細さをふり返ると、いくら大声に泣き続けても、足りない気もちに迫られながら、…………

 

トロッコに乗ったときのスピード感とスリルが良平の脳髄に、薬物的な刺激をもたらすのである。近代化の魅力は、刺激による快感の増大、効率と便益のもたらす圧倒的な物質的富、資本の価値の自己増殖のめまぐるしさにある。鉄道が一つ通るだけで、住んでいる社会環境が激変する。それに連れて、人間の無意識も、再構成される。潮が磯から満ちるように、人間の無意識から「近代」が満ちてくる。

近代化は、戻ることのできない不可逆的な変化である。良平の体験した軽便鉄道のトロッコの出来事は物語の上では物理的な距離に関わる個人的体験に過ぎない。だが、あのとき、良平の無意識の裡にも近代の統一的な規格に従ってレールが敷設されたのだ。

良平が、トロッコに触って遊び始めたときから、その無意識の変容がはじまっている。どこから始まり、どこで終わるかわからないレールの一すじだ。カントは、それを合目的性(概念の原因性)と名付けた。今や、どの近代人の無意識にも同じ規格のレールが敷設されている。「近代人の合目的性」=「人間の概念の原因性」とは、「人間がどこで始まりどこで終わるかは、その時代の人間が定義する」ということだ。それは、「労働は人間を自由にする」というあの強制収容所が終着点である場合もある。

『薄暗い藪や坂のある路が、細細と一すじ断続している』。

母の胸に抱かれても大声を上げても、泣き足りない心細さは、人間の現存在の本質に関わる。軽便鉄道の粗末なトロッコのって出発し、強制収容所の煙突から吐き出されるひとすじの煙まで続く、その後の近代人の誤った道のりを本能的に暗示しているのかもしれない。

(おわり)

読書会の録音です。

 

  • 2019 05.09
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