トルストイ『アンナ・カレーニナ 第一部、第二部』読書会(2019 7 12)のもよう

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2019.7.12に行った

トルストイの『アンナ・カレーニナ 第一部、第二部』読書会のもようです。

メルマガ読者さんの感想文です。

私も書きました。

『復讐はわれにまかせよ、われは仇を返さん』

 

彼のほうは、殺人者が自分で殺した死体を見たときのような気持を味わっていた。彼がその生命を奪ったこの死骸こそ、ふたりの恋であり、その恋の最初の段階であった。この羞恥という恐ろしい犠牲をはらって得たところのものを思い出すと、そこにはなにかしら恐ろしく忌まわしいものがあった。(第2部 11章)

 

リスクを冒して一緒になったのに、その手にしたものといえば、「死骸」である。男性のこの感覚というのが、よく描かれている。セックスによって男性の得るものは、川を遡るサケやマスのそれに近い。傷だらけになって遡上して、射精したものの、次の瞬間には、プカプカと川面に力なく浮いているだけだ。

しかし、アンナを襲った羞恥は、彼女に一つの認識を与えた。不倫と妊娠によって与えられた認識によって、アンナの目の前に、俗物官僚カレーニンとの夫婦生活の欺瞞が、みるみる明らかになっていったのである。

 

生殖に際しての女子の役割は、或る意味においては、男子のそれに比して罪が軽い。すなわち男子は生まれてくるものに対して意志を賦与するのであるが、その意志たるや原罪なのであり、したがってまた一切の害悪と災禍の根源なのである。これに対して女子の賦与するものは認識なのであり、これは救済への道を開いてくれる。

(ショウペンハウエル『自殺について』岩波文庫 P.90)

 

カレーニンとの間にできたセリョージャもアンナにとって一つの認識である。しかし、ヴロンスキーとの間にできた子どもは、救済への道につながる認識である。

本当は、アンナとヴロンスキーは、神との関係に入り、信仰と救済への道が拓けてくる展開を期待したいのであるが、まだ読んでいないが、そういう展開はリョーヴィンのほうに描かれているっぽいので、アンナはずっと苦しむのであろう。『罪と罰』のようにシベリアでやり直すという展開にはならない。

エピグラフの『復讐はわれにまかせよ、われは仇を返さん』(新約聖書ローマ人への手紙・第12章第19節)から推察するに、神の復讐がアンナとヴロンスキーを苦しめるのであろう。

この作品を読みながら、学生時代に読んだ、志賀直哉の『暗夜行路』が思い出されて仕方なかった。志賀直哉もキリスト教をベースにした。認識と救済を描いているからだろうか。

(おわり)

読書会の模様です。

 

  • 2019 12.11
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