教育の失敗から再生へ

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ゆとり教育の弊害が叫ばれていますが、

ゆとり教育は理念としてはすばらしいと思います。

 

ただ、ゆとりを教える教職員の実力不足で失敗しただけで

それは、やっぱり文科省の予算不足が、教職員の実力不足だった

それだけです。すべては予算不足。

 

最近NHKのBSで『奇跡のレッスン』という番組をやってます。

公立中学校の部活に、世界レベルの指導者を1週間投入するという

斬新な番組です。

1週間の指導で、ぽんやりした中学生がみるみる覚醒するという

恐ろしい番組です。

 

YouTubeで探せばたくさん見れるので『奇跡のレッスン』をコピペして

検索してください。

ちゃんと指導すれば、すごい勢いで子どもは伸びます。

だけどそれができないのは、予算のせいではなくて

やはり、教師が受けてきた教育の水準が

あまりにも低いというそれだけの理由です。

 

だいたい、英語もしゃべれないのに、英語を教えている教師が多すぎます。

なぜ、英語がしゃべれないのかというと、

それは、日本語すら満足ではない。

それだけの理由です。

 

 

夏目漱石ですら、明治時代の東大の職員室の教員がろくに英語をしゃべれないことを

『三四郎』なかでくさしています。

 

なぜ、明治時代にできなかったことが、いまもできないのでしょう。

 

 

これが不思議なのですが、不都合な不思議であって

大学入試の制度に根本的な問題があるのでしょう。

 

東進ハイスクールの塾講師だって

英語が何かなんてわかってないのでしょう。

なぜなら、大学入試のための英語以外を教えることはできないのですから。

 

日本語を学ぶんだったら落語の一席完全に暗唱させるほうが

これはよっぽど効果的です。

 

私は、最近びっくりしたのですが

 

天下の灘高の国語の授業で1年かけて中勘助の『銀の匙』を読む

という授業が有名になっていたらしいのです。

その話を、読書会のメンバーの方から聞いて、びっくりしました。

 

理にかなってます。

 

一冊の本を読むのは、すごい難しいのです。

 

ほとんどの東大生ですら『銀の匙』あらすじをまとめられないです。

 

そんなもんです。

 

だいたい、1冊の本すらまともに読めなくても

これ、東大くらい受かります。マジで。

 

 

東大っていうのは不思議な大学で

数学ができれば、まあ受かります。

 

でも数学というのは所詮、神学と哲学の下の学問です。

形而上学のお手伝いさんみたいな、せいぜいの合理性が担保されるが学問です。

 

確かに、数学がそこそこ出来るだけで、かなり有利になります。

その程度の合理性は、信念となんの関係もありません。

 

数学というのは、初等教育では役に立ちますが

現実世界では、金儲けへの信念を育てる以外に役に立ちません。

 

 

なぜ、ノーベル数学賞がないのかを真剣に高校生に

考えさせてみたほうがいいのです。

 

現実の社会を動かしているのは、数学の合理性より

明らかに劣ると思われる「不合理な信念」です。

 

なぜそうなのか?

 

そもそも人間を数学的に定義できないのですから、その程度の学問なんです。

『数学』は、不合理な狂信よりも、遥かに劣る学問です。

 

金儲けは得意だけど、人間を幸せにできない。

 

そういう人間を量産するのが数学という学問のかなしさです。

 

数学と結びついて滅びつつある近代経済学が

それを物語っています。

 

数学ができて東大に入った。

 

そのレベルで国家を運営できると思って大やけど。

 

それが日本の実態です。

 

人間理解が、なにもありません。

 

なんてこと言うんだと思われますが、ほんとそのレベルです。

 

夏目漱石の小説ですらいい年こいて理解できてない人が

圧倒的多数な世の中ですから、精読をしたほうがよっぽど

勉強になります。

 

人間というのは複雑な事象です。

 

 

それを解明する学問はすでにギリシア時代から積み重なっていて

実は、それほど進歩していなくてあとは、説得の問題だ。

 

こういうふうに理解したら、世界は普遍的理念で、幸せになれる

道筋がみえてきます。

 

私は、ゆとりを持って生きてほしいからゆとり教育はあながち

間違いではないと思います。

 

楽しくない大人が、なぜ、子どもに楽しさを教えられるのでしょうか?

 

人間は幻想と自己欺瞞の生きもので

幸せは各々の頭のなかにしかないけれど

それをすり寄せて生きています。

 

教師が感じる楽しさの幅が、子どもに伝えられる楽しさの限界になっています。

 

だけど、子どもは、教師の感じる楽しさに、共感を持てないのです。

まったくもって冷めた目で教師の楽しむ姿を眺めています。

楽しくない大人の姿を冷酷に裁いています。

 

今の子どもは、そのくらいのポテンシャルがあります。

 

これは、ほんとにさみしいことなのですが、

楽しくない大人に育てられるから、気の毒な子どもが育つのです。

 

教師の責任だけではないですが、大人の力不足が如実にあらわれています。

 

そもそも、子どもを教育できないのだから

せいぜい、教師なんか自己欺瞞の生きものである。

これだけを正直に子どもに

おしえられたら日本の教育はその役割を終えていると思います。

 

恐ろしいことを書いてしまった・・・。

 

 

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