カントの『道徳形而上学原論』を精読する その2

この記事は5分で読めます

 

レジュメの続きです。

西欧哲学は、自然(ピュシス)と理性(ノモス)の対立を理解することが大切です。

自然と、理性の対立は、自然法(ナチュラル・ロー)と、人定法(ポジティブロー、実定法)の

対立を考えるとわかりやすいので、こちらの動画をご参照ください。

自然は、「人間の力を越えたもの」

理性は、「人間の力がおよぶもの」

こう考えるとスッキリします。私はこう考えています。

 

ノモスは「人為(じんい)」とも訳されます。

読んで字のごとく、「人がためにすること」

 

「ためにする」とは、あまり聞き慣れない言葉ですが、

「ある別の目的をもって、また、自分の利益にしようとする下心があって、事を行う。」

という意味です。

 

「人間が自分たちの利益のために自然に力をおよぼそうととして、できること」

 

これを、もうわかりやすくすれば、「人間の力がおよぶもの」です。

 

人間の理性で、知覚して、作りだしたり、意味を変えたりできるものと考えてもいいと思います。

例えば、社会や、法律、道徳、慣習、正義と悪。

こういうものは、自然の中に生きる人間が

「人為」的に「理性」にしたがって作ったものです

だから、「人間の力がおよぶものです」

 

この感じをおぼえておいてください。

 

一方、自然は、本来は、「人間の力を越えたもの」です。

 

わかりやすくいえば、地震や津波が容赦なく人を襲ったり、火山の爆発があったり、

人間がコントロール出来ないものが、自然です。

 

しかし、人間は、自然にも力をおよぼしはじめます。

 

河川一本考えると、昔は、大雨で定期的に氾濫していたのに、

灌漑や、治水をすることで、流れをコントロールできるようになりました。

 

河川においては、人間の力がおよぶようになったのです。

 

科学技術の発達や、土木建築技術の向上で、

人間は、自然の容赦ない力を、

ある程度まで、コントロールしはじめたのです。

 

防災という消極的な力のおよぼし方から、水力発電のように積極的に

自然の力を、自分たちの目的のために使う方向になっていきました。

 

哲学者カントの生きた時代、18世紀は、人間の力のおよぶものが

急速に拡大した時代です。

 

18世紀に、ニュートンが自然に法則があることを発見しました。

自然学の誕生です。カントも自然学を学びました。

 

カントが一生考えたのはこの「人間の力がおよぶもの」の

原動力として働く人間の思考を司る「理性」のことです。

 

じゃあ、この「理性」は、どこから来たのか?

 

それは、旧約聖書に書いてあります。

 

旧約聖書の『創世記』には、

神が人間を創造し、アダムが、神に食べることを禁じられていた

知恵の実を食べたので「原罪」を背負ったと書いてあります。

 

「原罪」を悔い改めるように、人間は、神から「理性」を授かって

善悪や正義と不正を考えるようになった

(というか、反省するように神に叱られている)ということになっています。

 

それが、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の考え方です。

 

「原罪」と「理性」の問題を

別にすることで、カントは、哲学の問題として「理性」を抽象化しました。

 

古来、哲学は、神学の下女(はしため)といわれてきたそうですが、

神学の問題から、哲学は生まれています。

ヨーロッパの学問は、数学も、哲学も、その他諸学も神学から派生しているのです。

あらゆる学問は、「神学」が土台になっているのです。

 

このへんの神学の重要性が、文化的にわからないので、日本では、「?」となります。

義務教育でも、高校大学でも教えてくれません。

それがなぜかは謎です。

(おそらく日本人にキリスト教徒が少ないせいであると思われます。

信仰問題として論争になることもなかったのでしょう。)

 

 

要するに、「理性」からキリスト教のかかわる部分を切り離して

カントが哲学として体系化したということです。

 

カントがいた時代は、神学より自然学が流行りはじめたのです。

自然学は、自然に普遍的な法則を発見する学問です。

 

 

カント哲学は、自然学を応用しているので、

世界で普遍的に受け入れられる緻密な体系です。

 

まあ、中国人でも、イスラム教徒でも、日本人でも、

理解しようと思えば、だいたい同じように理解できるような

論理的な体系になっているということです。

 

(しかし、

「神は死んだ」でお馴染みのニーチェは、カントの中にキリスト教の神学に臭いを

嗅ぎとるので、カントの「理性」をキリスト教のデカダンスの一形態だとして

執拗に非難しています。)

 

まあ、そうはいっても、カントの哲学の世界に普遍的に通用する論理的な体系です。

 

なんと、国際連合(United Nations)の設立の基礎となった条約である

国連憲章の土台になっているのです。(『永久平和のために』)

 

 

日本国憲法の第九条の理念にもカントの哲学が影響しているといいます。

 

だから今も、一応は理念として、生きています。

 

カントは、

 

「なぜ、人間に原罪があるのか?」という問題を

「なぜ、人間に「(原罪を悔い改めるための)理性があるのか?」

 

という問題にすり替えたのです。

 

今回の講義では、

こたつでぬくぬく温まって、餌を食べたいときに食べ

飼い主に甘えたいときには、甘えるような

本能の赴くままに生きている飼い猫が

はたして、人間より幸せなのかどうかという問題を、

カント哲学を踏まえならが考えました。

 

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カントは、飼い猫の本能が求める満足感と、

理性的存在者である人間の求める満足感は違うといいます。

 

なぜなら、理性的存在者である人間は、

自らの利害を超えた、善悪の感情に突き動かされて

精神的な満足をおぼえることがあるからです。

 

そこのとこ音声で、がんばって説明しました。

 

(なんでこんな問題を私が、一生懸命説明するかというと

これが理解できれば、不毛な議論をしなくて済むからです。

あらゆる社会問題を、理解するための手がかりとなります。)

 

以下は、音声で読み上げた原書部分です。

 

『有機的存在者とは、自分の生活を合目的に営むように

仕組まれた存在者であるが、このような存在者に

与えられている自然的素質について、

我々は次の一事を原則として承認したい、すなわち—-

かかる存在者に具わっている道具は、

すべてなんらかの目的に最もよく適応し、

またその目的の達成に最も便利なものしかない、ということである。

それだから、理性と意志とを具えた存在者[人間]の保存と安寧—

約言すれば、彼の幸福が自然の本来の目的であるとするならば、

自然がこの目的の遂行者として、理性を選んでかかる被造者に当てがったことは

まことに拙作であったといえるだろう。」 P26

 

「それにまた開発された理性が、生活と幸福の享受に専念すればするほど、

人間としてはますます真の満足から遠ざかるということも、

我々が実際に見聞するところである。

こういうことがあるので、理性の使用に長(た)けた人達のなかには、

心にある程度のミゾロギーすなわち理性嫌悪の念を抱くものがたくさんある、—

もしこの人達に自分の心境をありのままに告白するだけの

正直さがありさえしたら、

まさにこれが彼らの本音であるに違いない。

つまり彼等は、自分が携わるところのものから得た利益を

ざっと見積もってみても、

実のところ幸福を獲たというよりはむしろ苦労の軛(くびき)を

頸にくくりつけたにすぎないことを知るのである。

なおここで私が利益というのは、生活を贅沢にするための

さまざまな技術の発明から引き出された利便のことではなくて、

諸学(人間もまたこの人達にとっては、

知性の贅沢と見なされている)から得られた利益を指しているのである。

そして結局は、自然的本能による指導だけに頼って、

理性が自分の行状に甚大な影響を

及ぼすようなことをゆるさないような低俗なたちの人々を軽蔑するどころか、

むしろ羨むということにもなるのである。」 P27

 

『理性が自分の行状に甚大な影響を

及ぼすようなことをゆるさないような低俗なたちの人々を軽蔑するどころか、

むしろ羨(うらや)むということにもなるのである。』

 

「理性のない低俗な人をうらやむ」というのは、

疲れたサラリーマンが、のんきな飼い猫や

猿山の猿をうらやましく思う感情のことです。

 

 

こう置き換えて読むと、理解しやすくなります。

 

こういう置き換え作業を、常に頭のなかで強いられるので、

哲学書は読みづらいし、難しく感じるのですが、

置き換え作業も、鍛えればどんどん読みこなせます。

 

私が、音声講義でサポートするので一緒にバリバリ読んでいきましょう!!

 

 

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